ドイツでの生活がだんだん忙しくなってきたと共に、
なかなか落ち着いた時間が取れなかったので、
あえてGoogleの20%ルールを自分に導入してみた。
今日の自由時間でやった事はTED.comの視聴。
こちらのビデオが面白くて、思わず2回見た。
Summary:
- Too much choice may not lead to happiness
- Sometimes, people overvalue something over another
- Put yourself into a situation which is more defined: You'll find a happy way through
って事だね。
ドイツに来た理由とか、よく考えてみると「留学に対する憧れ」みたいな部分が大半で、
まさに2.だったのかもしれない、と反省。
とはいえ、授業が忙しくて、人間関係も難しくて、自分の常識が通用しない世界に入って、
と手探りの状況だからこそ、3.に近い状況なのかもしれない。
人生、悪くないと思ってしまう。
自由は山巓の空気に似ている。 自由は山巓の空気に似ている。 どちらも弱い者には耐える事ができない。 -芥川龍之介
高校時代に出会った、このQuoteを思い出した。
この頃の「自由」ってどの程度の自由だったんだろう?
多少の自由でさえも、それを上手く操らないと不幸になるケースは多いと思う。
資本主義のようなめちゃめちゃの自由は、選択の幅が広がって、相当不幸にだと思う。
逆に、この曲なんかは、現状を受け入れようとする状態を表現してるよね。
Any懐かしい、思わず聞き入ってしまう。
さて、昨日、ポルトガル人の女の子と寿司を食べに行ったんだけど、
その時も、彼女は個別にメニューを選びたがったが、
僕は選ぶのが面倒なのでセットにしようとし、
その後彼女に合わせて個別に寿司を頼むも、
何が食べたいというより、無難に色々取り揃えた。
東京という町は、世界有数の大都市で、物が溢れてて選択の余地が広い分、
選択の幅を減らす方向性にクセが付いてる人は多いんじゃないかな?
スタバでは、ヘーゼルナッツラテしか頼まず(サイズは基本的グランデ:アイスかホットかは気分で)、
友達と渋谷にご飯食べようと行くと、行きつけの店が2軒。
しかも、それぞれのお店で、何を頼むかも大体決めている。
選択肢を狭めても、それが良い結果になるなら、問題はない。
くだらない選択肢で悩まないで、Indifferentなら面倒じゃない方を選んで、
力は、必要なところに、自分の意識を集中させたいところに最大限そそぎたい。
一年前くらいから、本当に取捨選択をしてる気がする。
もちろん、ケルンでは忙しすぎるので、
20%ルールを導入して、ちょっと「自由」を演出してる。
といっても、これはすぐ固定化してきて、
- 映画を見る
- 本を読む
- 自分の興味分野のリサーチをする
- テレビを付ける
とかいうところで落ち着きそうだけど。苦笑
まあ、Creativityを増すためには、解放される必要があるし、
時間をあまし始めたら、また何かをやり始めるんだろうな。
でも、そんな時間が自分には必要。
だから、自分の人生のために、時間の20%だけ確保して、それに充てる事にする。
よし、それでは、Household workに戻るぞ!
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