2011年3月31日木曜日

OnとOff

昨日は外資系に内定をもらった人たちが集まるパーティーに参加しました。

参加者は、僕以外は外銀とコンサルで、アウェーだったような。。

でも、高校の同期何人かと再会する事ができました。

アメリカ時代のクラスメートもいたのですが、残念ながら思い出せず…。苦笑


さてさて、何人かと話して感じたのは、

特に外銀の人は、交流関係を「人脈」と捉えてる事。

「ビジネスの情報源として知り合いを増やしておいた方が良い」

って言う人が大半で、少しビックリでした。

間違いではないんだけどね。

同じ人と会ってても、仕事中はビジネスの相手として捉えるけれども、

オフの時間で飲む時まで「人脈」として捉えられると堅苦しい。

自分で立ち上げたベンチャーの社長さんとかにもその傾向があるよね。


あと、会社名で勝ち誇ってるヤツもいる。

超一流コンサルの人は、その他のコンサルの人に対して優越感があるのが、

会話の中から感じられる事もある。

超一流のコンサルに入って、高額なオファーをもらったとしても、

就職する前の段階では、まだ能力差があるわけじゃないのに。


僕は、仲間とは完全Offで、なるべくフラットに話したいな。

年収の話とか、仕事の話とかする時も、

相手の懐具合を探るんじゃなくて、ただ純粋に相手の事を知りたいだけ。

生活スタイルの一環だもん。

でも、何年か経ったら、同じ同期の間でも年収に差がついてくるんだろうな。

300万、700万、2000万の人といると思うけど、

僕はこの3人と対等に接する事ができるだろうか?


自分が仮に300万だったとしても、2000万の人には劣等感を感じず、

自分の仕事や生活に誇りをもってやっていたい。

逆に、自分が2000万になれたとしても、

300万の友達と一緒に、普通のランチをして、他愛もない話をしていたいな。


いずれにせよ、明日から就職。

最初一週間くらいは研修が続くけれども、

早く社会にバリューを出せるようになって、

誇りを持って仕事ができるようになりたい。

会社名で自分を誇るんじゃなくて、

自分のやってる仕事を誇れるようになりたい。

ちょっと怖いけど、ちょっと楽しみ。


とりあえず、OnもOffも頑張ろうと思う。

2011年3月27日日曜日

エーシー

このCMが耳につく。

皆、きっと同じだよね?

でも、完全版を見た事はありますか?

完全版はこちらです:



花粉症で耳鼻科に行った時に、

小さい子が本を落としたのを拾ってあげた時とか、

計画停電でエスカレーターが動かずに困ってたおばあちゃんの荷物を持ってあげた時とか、

ちゃんと「ありがとう」って言ってくれるのね。

日本の都会って無関心社会だと思ってたけど、

捨てたもんじゃないかも、と思いました。


さてさて、ネットサーフィンしてたら、

こんな物を発見してしまいました。


画面右下のマークをクリックすると「え~し~」と鳴ります。

僕と同じく、このCMが耳について離れない方は是非。笑


ちなみに、僕のお気に入りは、「さよなライオン~」です。

可愛くて、素朴な感じが好き。

登場時間は短いけどね。


それでは次の投稿まで、

さよなライオン~!





2011年3月25日金曜日

卒業式

3月24日は卒業式だった。

地震の影響で中止になって、ウェブ配信となり、

逆に忘れられない思い出になった。


前日の午後から、PCPの仲間と集まり、

皆で卒業を祝って夜を明かす。

飲んで、どーでもいいような事でワイワイでき、

でも、将来のキャリアとか、世界の経済とか、

急にそういう話題が出てくる。

こういう仲間がいるのが、PCPの凄いところだと思う。

めいいっぱい楽しみ、そのまま皆で築地へ。


ブランチ的な感じで、上ウニ丼を食べる。

地震の影響で、築地には高級食材が売れ残ってるらしく、

極上のウニを食べる。

口の中でトロトロに溶けるウニが、僕らの卒業を祝ってくれる。


一方、facebookやらメールやらで、

卒業式で表彰者として名前が呼ばれた事に対してお祝いメールが届く。

友達が気にかけてくれてて、とても嬉しい。

俗にいう金時計、つまり主席。

経済学部は3名だったらしい。

僕は生放送では見れなかったんだけど、

後でゆっくり見ました:





午後からは三田へ行き、色んな友達と記念撮影。

夜はSFC中高の会に呼ばれる。

100人くらい集まってて、相当久しぶりに会う仲間とも再会。


高校以来会ってない友達が、

このブログを見ててくれてる事も聞いて、

最近更新してなくて、申し訳なくなりました。

きっと、同じような読者の方も、何人かいらっしゃるんですよね。

ごめんなさい。


前日から約一日半、

基本的に酒を飲み、

「卒業」という結果についてお祝いをしていた結果感じたのは、

「勉強したい」という内から出る声。


「卒業おめでとう」「主席すげーじゃん!」なんて声をかけてもらうけど、

僕は、もっと全然先に進まなきゃいけなくて、

そこで喜んでるヒマは無いという事。

もちろん、4年間頑張ってきた結果だから、

それなりに嬉しいけどね。


引越しの準備があって、思うように時間が取れない。

就職したら関西に行く仲間もいて、最後に彼らとも会っておきたい。

でも、何よりも今、もっと先に進むために勉強をしたい。

そう思った卒業式だった。


毎日ちょっとずつ勉強をすれば、

5年後、10年後には凄い積み重ねになる。

1日30分やれば、1年では180時間。

3年続ければ気象予報士の資格が取れるくらい、

7-8年やれば中小企業診断士が取れるくらい。

これって、実は凄い事。

この積み重ねをどこまでできるか。


まだ、人生も22年しか生きてない訳だし、

ここからが勝負だな、と感じる。


就職先には、きっと凄い人がたくさんいて、

その中で自分が何物かにならなきゃいけない。

留学に2回行ったり、親から人一倍の教育投資を受けただけに、

社会に対するアウトプットも人一倍にやらなきゃ、というプレッシャーも感じる。

社会に出るのが怖いけど、楽しみ。


この感触、大学に入る時、PCPを受けた時の気持ちに似てる。

進むのは怖いけど、でもやってやるぜ!って自信もある。

あと、就職まで一週間。

この時間を、とても大事にしたいと思う。

2011年3月18日金曜日

中身のない人間

ドイツ留学後、頭がなんとなく動かない時期が続いてた気がする。

目の前で起こる事をただただ処理するに終始してて、

特に自分で何か意識を込めてやる事はしなかったかも。

今、なんとなくピアノを弾いていて、

音楽の内容があまりにも薄っぺら過ぎて気付いた。


そろそろ始動しなきゃ。

一人暮らしに向けて引っ越しとかあるけど、いい加減動かなきゃ。

経済学部に入る2-3月で経済学を一通り把握したように、

FMPになる前に財務を一通りGraspしたい。

ヨーロッパにいたら、

「友達と遊んでたい」「彼女欲しい」といった弱い自分だったけど、

もう数年はガッツリ仕事しても良いんだと思う。

もちろん、彼女は募集中だし、友達とは会いたいのですが。

Inputの時間を増やさなきゃ。


2011年3月17日木曜日

地震後の対応

さて、地震から数日が経ち、徐々に僕へのリアルな影響も分かってきた。


ガソリンが無い、という事は駅まではバスで行かざるを得ない。

これだけで、どこかへ出て行く意欲が落ちる。

大学の図書館は閉まっているので勉強もできず、

カフェも電力を落としてるので、本を読んで勉強するには難しい。

計画停電中は全ての意欲が削がれてしまう。

もちろん計画停電を実施できる東京電力の技術はすごいと思うし、

被災地に比べれば状況は全然良いけど。


さすがに家にこもってぐーたらしてる生活をいつまでもしていられない。

あと2週間で三鷹に引っ越さなきゃだし、

それ以外にも色々な人に会って話したい。


計画停電の話から行くと、

地震で損害を受けた発電所がフル稼働できないために、

東電の供給量は3350万kwが限度になっているらしい。

ちなみに、問題の福島第一原発の供給量は469.6万kw、福島第二原発が440万kw。

こちらにあるように、運転休止中の火力発電所を使って頑張るみたいだけど、

電力は全然足らないらしい。やっぱ原発すげーんだな。

今後の見通しだが、4月末までは計画停電が続くとの事。

その後、冷房需要が増える夏には再度計画停電が実施される見通し。

って事は、計画停電の下で動いていく事に慣れなきゃいけないんだな、きっと。


ガソリンに関しても同様。

生産がストップしてるのは供給量にして2割、量にして90万バレル/日。

昨日から極東石油の千葉製油所(17.5万バレル/日)が再開し、

今日から東燃ゼネラルの川崎製油所(22万バレル/日)が再開。

段階的な操業らしいが、あと数日でフル稼働するらしい。

被災地の自家用車の需要が減るけど、

物資の輸送は普段以上は増えない(ぜいたく品は輸送されない)ので、

首都圏のガソリン供給量は数日内に普通に戻ると思う

もちろん、被災地への物資の輸送や救急車が優先だけど。


再開が早いのはありがたいけど、

今週いっぱいくらいは駅までの交通手段は徒歩&バス。

その中で、最大限、活動していくしかない。


2011年3月16日水曜日

物品不足

首都圏でも色々な物が品薄ですね。

でも、物流はそんなにストップしていないようです。

という事は需要サイドが大きく変わったんですかね。


食料品・水といった品物の生産~流通にはそこまで問題が無いんだとか。

ただ、いつも通りに仕入れてても、

いつもは2日分買う人が一週間分買っちゃってるから、品切れ状態なのだそう。

需給が釣り合ってるから、そのうち解消されますね。


トイレットペーパー・ティッシュペーパーの部類は、計画停電の影響で生産が追いついてないのだそう。

関西側の生産を増やして対応しているけれども、なかなか厳しいのだとか。

この辺りは節約する必要がありそうだし、多少の買いだめは正当化できそうですね…。


ガソリン・軽油に関しては、原料はあるのだが、精製するための工場の安全性の点検中なのだとか。

という事は、今、品薄なのは事実になる。

でも、満タンに入れなくても、一ヶ月もすればもとの供給ができるようになるのだとか。

どうせ、通勤とか通学で車は使わなくても大丈夫でしょ。

それまでの間、生活物資の運送トラックや救急車等、必要なところに回してあげてください。


日本は資本主義の原則が上手く当てはまらず、

品薄でも物価がなかなか高騰しないので、

我々の優しさで財の最適配分を考えなければなりません。

物価の高騰が「正義」かは分かりませんが(参照:マイケル・サンデル)、

でも、財の最適配分にはある程度有効だな、と考えてしまう。

卒業

ついさっき、慶應義塾大学の卒業式を中止する事が決定されました。

これに伴って、23日に予定していた
  • 日吉記念館前列の指定席で参加するはずだった卒業式
  • 学位記の授与
  • 慶應義塾大学表彰規程により表彰される、表彰状授与式
  • PCPを修了した証明である、PCP Graduation Ceremony
の4つの公式イベントが全て中止。

大学生活の4年間の最後のけじめをつける式に参加する事なく、

僕の学生生活は終わりを迎えるらしい。


まぁ、PCPの代表として立候補して色々経験をし、

まだ新しいPCPのプログラムを修了し、


課外活動も色々と経験し(合唱、釣り、政治家インタビュー、などなど)

大学の成績もそれなりに取ったし

それなりには満足。

悪くはないんだろうな、と思う。


でも、「慶應義塾大学経済学部卒業」となる訳だけど、

地震が起こった時、なぜ円高になったのかは説明できない。

なぜ生活関連物資の買いだめが起こってるのに値段は上がらないのか、もよく分からない。

すると、自分、まだまだだな、と感じてしまう。


今までの考察は…


<簡単なM-Fの小国モデル>
  1. Y=C(Y)+I(r)+G+CA(e)
  2. M=L(r,Y)
  3. r=r*
  4. M=D+eR
の場合、3式で利子率が規定され、2式で国民所得が規定される。

だから地震の影響を消費/投資の低下と捉えると、

1式よりCAの上昇、つまりeの上昇で、円安を意味する。

このモデルだと、円高とは逆の結果になるからNG。

実際、地震後は利子率は上昇したから、日本は小国じゃないという事か。

日本国民としては一安心。笑


<二カ国モデル>
  1. y=δ(e-p)-σr+fy*+u
  2. y*=-δ*(e-p)-σ*r*+f*y
  3. h-p=-λr+φy
  4. h*-p*=-λ*r*+φ*y*
  5. r=r*
典型的なIS-LMを二つ繋げたようなモデルを考えると、

地震の影響はおそらくu(その他の要因)の低下として表れ、

そうすると、
  • 為替/物価の動き方は不明(Ambiguous)
  • 利子率の低下
  • 自国GDPの低下
  • 相手国のGDPの低下
の4つが結論として得られる。

でも、利子率は上昇してるんだよな。

だからおかしい。


専門は国際経済学だったはずなんだけどな。

世の中、分からない事がたくさんある。


日本国債自体が相当量のリスクを抱えてるから、

今回の地震を機に

「日本にカネ貸すのはヤバいんじゃね?」

という投資家が増えて、日本のカントリーリスクが認識され、

利子率が全般的に上がったという事だろうか?


仕事が始まるまで、あと2週間だけ自由な時間がある。

友達と会う予定も結構キャンセルだし、

家から都内に出るのもそう簡単ではなくなってきている。

だから、今は絶好の勉強するチャンスだと思う。

名古屋で何冊か本を仕入れておいたから、

今のうちに読んでおこうと思う。


2011年3月6日日曜日

不動産の相場

日本の不動産相場って何で高いんだろう、

という事で少し考えてみた。

この間契約した物件は約25m^2で約8万円。

世界を眺めると、パリとマンハッタンは東京並だけど、

これは狭くて住宅不足だから。

ロンドンとかは安いし、ベルリンくらいまでいくと倍くらい違う。

なんでだろう?という事で考えてみたら、

日本企業の従業員が受ける「家賃補助」が大きいんじゃないかな?って思った。


労働者の7割が家賃補助を3万円受けてるとしたら、

賃貸物件に対する需要曲線が2.1万円上がる訳で、

不動産の供給の弾力性はほぼゼロに等しいから、

家賃が約2万円程度上がる、という事。


外資系にはですね、そんな物ないんっすよ。

その分、給料は多くもらってる訳で、

少なくとも新卒採用部分で見ると、トントンくらいかなという感触ですが。

でも、学生とか個人事業主にとっては大変だな、と思う訳です。

市場が歪められてる、ってこういう事だと実感。

親の干渉

これまで、色々と親にはお世話になってきたけど、

ドイツで半年間一人暮らしをした後だからか、

親が色んな面で生活に干渉してきて、

とても面倒に思う事がある。


4月からの一人暮らしまで我慢するしかないけど、

親から借りた一人暮らし用の初期費用も早く返して、

早く独立したいと思う。

原則加速

留学から帰ってきて、

なんとなく自分の中での動きが止まってたような気がする。

何をするにしても手がつかず、

人間ってこんなに寝れるんだ!ってくらい寝て、

ピアノ弾いたり、テレビ見たりして、なんとなく時間を過ごしてた。

ヨーロッパののんびりとしたペースに慣れ、

留学前の友達から「丸くなった」と言われ、

3年前の僕を知る女の子から変わったねと言われ、

それが、先週くらいから、急加速のきっかけをつかんだ。


でも、先週くらいにアクティブにやってる友達から刺激を受け、

昨日は彼女と別れ、

今日は就活生と話して就職で目指す方向性を再確認でき、

自分なりの人生のペースをつかみ始めた。

さて、自分で自分の方向性セットしなきゃな。

いつまでもぐーたらしてると、妙な違和感を感じるのが僕。

前に進もう。

2011年3月2日水曜日

健康診断

今日は、内定先の入社時健康診断を受けた。

朝、到着すると、いきなり中で迷う。

そして、少し遅れて窓口で名前を告げる。

見渡すと、健康診断やら人間ドックを受けてる人がたくさん。

霞ヶ関にこんな医療施設があるなんて知らなかった。


僕は簡単な検診のみなので、着替える必要もなく、

ロッカーにコートとカバンだけ入れて検診をスタート。

「今日は、お名前ではなく、こちらの番号でお呼びしますね。」

と告げられ、301と書かれた番号札を受け取る。


人を個人名ではなく、番号で管理し始めた途端、

急に「ヒト」が「モノ」へと変わる気がする。

僕は今日は、「金森俊揮」という一人の人間というより、

「検査対象301」だった気がする。

アウシュビッツも、囚人○号、っていう管理の仕方をした途端、

人間が人間として扱われなくなったんだよな~

なんて思い出しながら、最初の診断へと向かう。


僕が今までに経験した事にないくらい、システマチックに管理された診療所で、

一つの検査から次の検査へ、流れるよに進んだ。

「次は窓口13番の内科までお願いします」

と言われて、13番へ行くと、

「301番の方どうぞ」

と言われて、5分程度色々見て、

「次は14番の眼科まで」

という感じ。


ヒトをモノとして管理すると、効率がよくなる。

広告代理店では、

おおかたの芸能人がどんな性格で、どんな層から人気があって、

といったのが数値化されたデータベースがあって、

CMの内容と照らし合わせて、誰を使うか決めてるのだとか。

芸能人やAV女優なんかは、完全にヒトが商品だから、

ある意味では、モノ扱いされてるんだよね。

こんな事を考えながら、あっという間に検診は終了。

尿意がなくて、検尿で立ち止まった以外は、

大きな問題もなく終了した。


さて、ここまで書いてみて思ったのが、

「ヒト」と「モノ」って何が違うんだろう?

パッと思い浮かぶのは、主体性があるかないか。

ヒトは意思を表明をする事ができるけど、

モノはそれができない。

その意思を尊重しなければならないから、扱い方を変えるべき、という事か。

でも、モノは意思が無いのかな?

それとも意思はあるんだけど、表明する能力を持ち合わせてないのかな?

石ころだって、あちこち投げられて削られて、という扱い方より、

キレイに装飾されて飾られてた方が嬉しいと思う。

なんだか、難しい。


そう考えると、何かの行為の対象物として何かを「モノ」的に扱う事は、

人道的に間違ってるのかもしれない、と思えてくる。

何をするにしても、その物の気持ちになって考えるべきなのかもしれない。

このDVDは、AVを大量に隠すために使われるより、思い出の写真を詰められた方が幸せだろうし、

僕のカバンは、床に置かれるより、持ってもらってた方が幸せなんだろうな。

本棚の本は、読まれないなら、もっと読んでくれる誰かに譲られた方が幸せなのかもしれない。

なんか、不思議な倫理観に到達した気がする。


とはいえ、僕らは、生きていた方が幸せだった牛の肉を食べ、

地中に埋まってる方がハッピーだっただろう石油を燃やして電力を消費し、

森の一部であるはずの木を切り崩して作られた紙を何枚も消費し、

寝てる方が幸せだった自分の体をたたき起こして生活をする。

人生って、資本主義って、かなりエグいね。


なんか、とりとめのない日記になってしまった。