2012年1月8日日曜日

Birthday Wishes

1/7は僕の誕生日でした。

よくネタにするのですが、昭和天皇の崩御の日。

そう、昭和最後の日です。


幸いな事に、メールで、電話で、Facebookで、Twitterで、mixiで、

世界の色んな国の人から、色んな言語でおめでとうをもらいました。

一方で、FacebookのせいでiPhoneは一日中なりっぱなし。

いつもはiPhoneは静かな方なので、ちょっと不思議な一日でした。


特にFacebookというのは不思議なもので、

トップ画面に"XXXX's birthday is today"という感じで出てくる。

というわけで、ワンクリックへその人のページへ行き、

"Happy Birthday!"とか、軽く一言を書く。

それをLikeする人や、語尾に顔文字だけつけてPostする人が出てくる。

そして、色んな言語で飛んでくる。

というわけで、FacebookのWallには、

味気ないお祝いの言葉の羅列ができる。

A: "Happy Birthday!"
B: "お誕生日おめでとう!"
C: "おめでとう!"
D: "Happy b-day! : )"
E: "Alles Gute!"
.....

といった具合に。笑


そんな中、FacebookのWall上で、もう一言二言を添えて、

その「味気ないお祝いの言葉」から脱して、

嬉しいお祝いのメッセージをくれた人もいる。


それから、同じFacebookでもあえてダイレクトメッセージを書いてくれた人、

twitterで連絡をくれた人、

Chatで話しかけてくれた人、

ケータイに直接メールくれた人、

電話をしてくれた人、

なんかがいる。


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この状況をみると、色んな事を考えてしまう。


まずは、facebookの味気ない羅列はなんとかならないのか、という事。

忙しい中、わざわざ僕の事を気にかけてくれて、

一年に僕の事を考える日が今日だけだったとしても、

一言でもメッセージをくれるのは、とてもありがたい。

世の中に"Happy Birthday"と言われて、嫌な人などいない。

そう、一個一個のメッセージは嬉しいのである。

でも、その集合としてのFacebookのWallは、なんとなくうんざりとさせられる。

だからといって、わざわざ

"Please drop a note if and only if you have more than 2 lines to celebrate my b-day"

なんて書くほどの事じゃない。なんかのギャグ。笑

じゃあ、何もメッセージを書いてもらえない、というのもさみしい。


これは、ウェブの抱える問題なのかもしれない。

なんとなくつながっている状態、が心地よい。

専門用語で「弱い絆」という状態。

ケータイ依存症とか、twitter依存症の人はこの可能性が高い。


一方、これはfacebookの仕組みの問題で、

ユーザーが悪いのではないのかもしれない。

Facebookのトップ画面で誕生日が表示させられなければよい。

"Do not show my birthday on my friends' top-page"

なんてチェックボックスがあってもよい。

または、Facebook上で誕生日を表示しないという選択肢もある。

ただ、こんなくだらない理由で、

僕の誕生日を調べようとしてくれる人が、調べにくくなるような事態も避けたい。

困ったものだ。


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もうひとつ考えるのはRed Oceanの話。

誕生日メッセージを送る際、FacebookのWallはRed Ocean。

たくさんのメッセージに囲まれて、消えていってしまう。

そして、書かなかったとしても気付かないケースが多い。

Facebookの一行メッセージで記憶に残るのは、

自分が気になってるような相手か、

または少し疎遠になってる人の名前を見かけた時くらいだろうか。

同じ一行メッセージでも、twitterで書かれると記憶に残る。

そう、twitterで誕生日メッセージを送る人はいない。Blue Oceanなのである。

電話だったり、長いメッセージを書いたりするのもBlue Ocean。

ただし、こちらはコストがかかるけど。



ここまで書くと、マーケティングの話なんだけど、

単なるマーケティングの話じゃないのかもしれない、とも思ってしまう。

というか、たかだか人の誕生日のメッセージごときでMarketing考える人はいない(と思う)。

つまり、普段こういう話を聞くと、

「そうか、Red Oceanはダメなんだな。次から自分はTwitterで誕生日のお祝いの連絡を入れよう」

とだけtake-awayして行く人がいる。

でも、そうじゃない。もっと大事な事がある。

Will+Skill→Output

という流れがあるのではないか、と思う。


「誕生日だから何か書いてあげるかー」

という程度のWillの人は、とりあえずfbのウォールに一言書きこんで終了。

十分に目的を果たせているので、これでいい。


もうちょっと気にかけてるような人だったら、

「せっかくだし、なんか一言、いい言葉をかけてあげよう」

なんて思ってるかもしれない。

すると、自然と自分なりにWordingだったり、Mediaを考える。

そういう人は、一緒に時間を過ごした時のエピソードなんかを交えつつ、

温かみのあるメッセージを書いてくる。


もちろん、経験がなかったり、発想力があまり豊かでない人は、

色々考えたあげく、Facebookに一行メッセージを書く事で終わる。

「電話するほど仲良くないしなー」とか、

「こんな事書いたら大げさかなー」とか、悩んじゃって、

一言、無難に"Happy Birthday"と。

この場合、Facebook上では同じ表示になるけど、意味合いが全然違ってくる。

そこが伝わってこないのが残念。

ちなみに、僕は色紙を書く時や、急にスピーチを頼まれた時にこのパターンがすごく多い。

機転が利かなくて、口下手なのである。すみません。


一方で、何も思ってないのに、さらーっとそれっぽいメッセージを書ける人もいる。

天性のマーケッターなのかもしれない。

または、僕のこのブログの投稿を読んで、

Willの部分をすっ飛ばして、

「友達の誕生日は電話で」と決意した人なのかもしれない。

いずれにしても、本質的な意味で誕生日を祝ってない。

大事なのは、Outputではなく、Willの部分なのである。

それを測る事ができるのがOutputである、という悲しい側面があるだけ。


僕は今までの人生、

Strategyの幅を広げるためのSkillにフォーカスをしすぎてたのかもしれない、と思う。

「優秀なビジネスマンになるためにはロジカルシンキングが必要。おすすめの本はこれ。」

という具合に、色々なスキルを身につけておいて、

「俺、こういう事したいんだよね」という人が現れた時に、

手持ちのSkillをもとにアウトプットし、

場合によっては、そのアウトプットのためのインプットをする。という具合に。

Willを人任せにして、Skillを貯め込んでた人生。

ある意味、サラリーマン向きの人材ですね。笑


ただ、Willが定まってくると、会社にいるよりも独立したくなるんだろうな。

でも、そこで初めて「自由」を手に入れられる。

少なくとも、それまでは会社に依存しながら、

社会人としてのインプットをするかねー。

あくまでも会社の奴隷ではなく、

自分が会社を使ってるイメージなのが正解だと思う。


SkillがWillに追いついてなくて、想いが伝わらないのは残念だけど、

WillがSkillに追いついてないと、人間として重症だなって思った。


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さて、戻って誕生日の話。

みなさんは、友達の誕生日、どこまで気にしてますか?

実はというと、僕はあまり気にしていませんでした。

恋人の誕生日は、必ずなにかしてましたが、

それ以外の人の誕生日は別に…。


でも、Facebookが日常の一部と化してる現代だからこそ、

普通以上に誕生日の存在が大きくなってる気がする。

だから、ちょっとは気にするようにしようと思う。


それから、一行メッセージはどうしようかな。

疎遠になってしまった人は、Facebookで気付いたら書きこみます。

もともと"XXX's birthday is today"欄を気にしない人なので。苦笑


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それから、最後に、僕の事を気にかけてくれてる人へ。

もしかしたら、あなたはとても暖かいコメントをくれた人かもしれない。

もしかしたら、facebookで一行コメントを書いた人かもしれないし、

僕の誕生日なんかすっかり忘れてて、全く何もメッセージを送らなかった人かもしれない。笑

でも、そんなあなたはきっと数日後には、このブログも見てくれてるはず。

そして、きっとあなたとは今後も関係が続くだろうと思う。

だから、是非、近いうちにご飯でも食べながら時間を共有して、色んな話を聞かせてほしい。

あなたが、僕の人生を豊かなものにしてくれるのです。




これからも、生活の中で、非連続的な変化をどんどん起こしていきますよー!

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