もう、就職活動の時期なんですね。
街中を歩くと、スーツを着た学生がたくさん。
日系の大手勤務ではない僕のところにも、
既に10人以上の学生が話を聞きに来ました。
どんなアドバイスをするか、どんな対応をするか、
一つ一つを通じて、自分が試されてるように思う。
中には、この子大丈夫かな、っていう人もいたし、
この子の5年後にもう一度会いたいな、という人もいたな。
たまに、学生時代のピュアな気持ちを思い出したりして、
とてもいい刺激になる。
~~~~~~~~~~
正解がない人生の中で、
自分なりの答えを探しながら決断をしてく。
それは、大学3年生が「就職活動」だからやる行為ではなく、
高校生の頃だって、または就職をしてからでも、
ずーっと続いていくはず。
誰とお付き合いするか、とかも大事な問題だし、
もしかしたら、この日曜日をどう過ごすか、で人生が大きく変わるかもしれない。
ただ、普通の人にとって、
就職は、人生に与える影響が大き目だけど。
先日、大学時代の同期の何人かと話す機会があって、
「もう一度、就職活動をするとしたら、どこを受けるか」
というような話題になった。
僕は即答で、
と答えた。
少なくとも、今の僕にとってGEはベストマッチだと思うし、
GE以上に僕に合う環境を僕は知らない。
でも、同期の反応は微妙で、
とか、
のような反応が多く、現状に肯定的な人はいなかった。
それを聞いた時、ちょっと残念だった。
どこの日系企業が抱える問題なのかもしれないし、
現状が多少辛くても肯定できる心の余裕がなかったのかもしれない。
でも、大学時代、あれだけ強い推進力・向上心を持ってた同期が、
オトナになって、丸くなってる、というのを見ると落ち込んでしまう。
~~~~~~~~~~
さて、僕は社会に出て成長はした。
だから、僕も「大人」になってるはず。
職場にいる色んな人とどう接したら良いのか、とかは少しずつ身につけてるし、
今日は疲れたけど、仕事がまだ終わらないから残らなきゃ、なんて日もある。
でも、社会システムに惑わされる事なく、自分が思う事に素直に従ってきた。
「これ、オカシクない?」
っていう気持ちは常に大事にしてきた。
そういう意味では、いつまでも子ども。オトナの事情は無視、である。
現状を思いっきり楽しむ。
常識を疑う。
与えられた物に満足せず、主体的に取り組む物を作る。
ありきたりの言葉だけど、とても大事だし、充実した生活の基礎だと思う。
What you can controlを最大限に自由に動かして、楽しい人生を送る。
それを意識してると、実はなんとなく適当にしてきた事も、
実は自分がコントロールできる事に気付くかもしれない。
そうして、自分のできる事を増やしていく。
長期的にこういう事をしたいから、そのために毎日一時間勉強する、
という姿勢があれば、もはや勉強は嫌な物ではなく、自分のための物になる。
社会人にとって、嫌な勉強は存在しない。
学校の宿題みたいに、「やらないとダメ」という物はないから、
大人には、自分のための勉強だけが存在する。
毎日ジョギングをすれば、数カ月でマラソンが走れるようになる。
毎日語学を勉強すれば、どんな言語だって、旅行ができるレベルには話せるようになる。
もちろん、友達と遊ぶもよし、ゴロゴロするもよし、ゆっくり寝るもよし。
でも、その結果には自己責任が伴う。
2-3年後になって、自分が英語がしゃべれなかったとしたら、
それは英語を頑張って勉強してこなかった結果でしかないから、
帰国子女の子を妬む、なんてのはお門違い。
彼らは、小学生の頃、「英語か、ひとりぼっちか」というような環境に身を置いて、
人生を賭けて必死で英語をマスターしたんだから、ある意味尊敬に値するのだ。
福沢諭吉の『学問のススメ』には、
「学ぶ」を広い意味で捉えると、自分を向上させる、という事。
無意味なお勉強ではなく、実際に役立つ「実学」を身につけよう、という教えがここにある。
高校時代の結果が大学時代に出る。
その大学時代をどう過ごすかが、社会人になった時に表れる。
そんな感じで、ずーっと連鎖していく。
現状に満足がいってない人は、
ちょっと振り返ると、思い当たるフシはあるのではないだろうか?
今、行動を起こせば、その結果は2-3年後に表れる。
逆に、今、手を抜いてしまうと、2-3年後に確実に表れる。
こうやって書くと、案外シビアな世界である。
~~~~~~~~~~
もう一度、就職活動をするとしたら、
あの時にベストだと思った選択以上の選択はあるとは思えない。
一度決まったら、その外は見ない。
「ベストだった選択」がベストだったか、を検証するのは時間の無駄。
そして、その中で全力で楽しみ、全力で前に進む。
結果は全部自己責任。
少なくとも、あと2-3年くらいはそんな生き方をしたいなー。
街中を歩くと、スーツを着た学生がたくさん。
日系の大手勤務ではない僕のところにも、
既に10人以上の学生が話を聞きに来ました。
どんなアドバイスをするか、どんな対応をするか、
一つ一つを通じて、自分が試されてるように思う。
中には、この子大丈夫かな、っていう人もいたし、
この子の5年後にもう一度会いたいな、という人もいたな。
たまに、学生時代のピュアな気持ちを思い出したりして、
とてもいい刺激になる。
~~~~~~~~~~
正解がない人生の中で、
自分なりの答えを探しながら決断をしてく。
それは、大学3年生が「就職活動」だからやる行為ではなく、
高校生の頃だって、または就職をしてからでも、
ずーっと続いていくはず。
誰とお付き合いするか、とかも大事な問題だし、
もしかしたら、この日曜日をどう過ごすか、で人生が大きく変わるかもしれない。
ただ、普通の人にとって、
就職は、人生に与える影響が大き目だけど。
先日、大学時代の同期の何人かと話す機会があって、
「もう一度、就職活動をするとしたら、どこを受けるか」
というような話題になった。
僕は即答で、
もしもう一度就職活動をするなら、またたくさんある会社の中からGEのFMPという採用枠を見つけだして、面接で自分の事を評価してもらって、内定をもらいたい。
と答えた。
少なくとも、今の僕にとってGEはベストマッチだと思うし、
GE以上に僕に合う環境を僕は知らない。
でも、同期の反応は微妙で、
少なくとも今の会社は受けないよねー
とか、
どこでも一緒じゃん?
のような反応が多く、現状に肯定的な人はいなかった。
それを聞いた時、ちょっと残念だった。
どこの日系企業が抱える問題なのかもしれないし、
現状が多少辛くても肯定できる心の余裕がなかったのかもしれない。
でも、大学時代、あれだけ強い推進力・向上心を持ってた同期が、
オトナになって、丸くなってる、というのを見ると落ち込んでしまう。
~~~~~~~~~~
さて、僕は社会に出て成長はした。
だから、僕も「大人」になってるはず。
職場にいる色んな人とどう接したら良いのか、とかは少しずつ身につけてるし、
今日は疲れたけど、仕事がまだ終わらないから残らなきゃ、なんて日もある。
でも、社会システムに惑わされる事なく、自分が思う事に素直に従ってきた。
「これ、オカシクない?」
っていう気持ちは常に大事にしてきた。
そういう意味では、いつまでも子ども。オトナの事情は無視、である。
現状を思いっきり楽しむ。
常識を疑う。
与えられた物に満足せず、主体的に取り組む物を作る。
ありきたりの言葉だけど、とても大事だし、充実した生活の基礎だと思う。
What you can controlを最大限に自由に動かして、楽しい人生を送る。
それを意識してると、実はなんとなく適当にしてきた事も、
実は自分がコントロールできる事に気付くかもしれない。
そうして、自分のできる事を増やしていく。
長期的にこういう事をしたいから、そのために毎日一時間勉強する、
という姿勢があれば、もはや勉強は嫌な物ではなく、自分のための物になる。
社会人にとって、嫌な勉強は存在しない。
学校の宿題みたいに、「やらないとダメ」という物はないから、
大人には、自分のための勉強だけが存在する。
毎日ジョギングをすれば、数カ月でマラソンが走れるようになる。
毎日語学を勉強すれば、どんな言語だって、旅行ができるレベルには話せるようになる。
もちろん、友達と遊ぶもよし、ゴロゴロするもよし、ゆっくり寝るもよし。
でも、その結果には自己責任が伴う。
2-3年後になって、自分が英語がしゃべれなかったとしたら、
それは英語を頑張って勉強してこなかった結果でしかないから、
帰国子女の子を妬む、なんてのはお門違い。
彼らは、小学生の頃、「英語か、ひとりぼっちか」というような環境に身を置いて、
人生を賭けて必死で英語をマスターしたんだから、ある意味尊敬に値するのだ。
福沢諭吉の『学問のススメ』には、
天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリとあるが、この後に続く2-3段落こそが大事で、
しかし、世の中を見渡すと、色々な人がいる。賢人と愚人の差は学ぶか学ばざるかによってできる物であるという趣旨のフレーズが続く。
「学ぶ」を広い意味で捉えると、自分を向上させる、という事。
無意味なお勉強ではなく、実際に役立つ「実学」を身につけよう、という教えがここにある。
高校時代の結果が大学時代に出る。
その大学時代をどう過ごすかが、社会人になった時に表れる。
そんな感じで、ずーっと連鎖していく。
現状に満足がいってない人は、
ちょっと振り返ると、思い当たるフシはあるのではないだろうか?
今、行動を起こせば、その結果は2-3年後に表れる。
逆に、今、手を抜いてしまうと、2-3年後に確実に表れる。
こうやって書くと、案外シビアな世界である。
~~~~~~~~~~
もう一度、就職活動をするとしたら、
あの時にベストだと思った選択以上の選択はあるとは思えない。
一度決まったら、その外は見ない。
「ベストだった選択」がベストだったか、を検証するのは時間の無駄。
そして、その中で全力で楽しみ、全力で前に進む。
結果は全部自己責任。
少なくとも、あと2-3年くらいはそんな生き方をしたいなー。
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