2010年8月30日月曜日

ドイツ人の英語

どうやら、この国の若者は英語は普通に喋れるみたい。

銀行の人も、お店の店員も、

「英語喋れますか?」と聞くと、

「ちょっとだけね。」って答えるんだけど、

ガンガン喋ってきてくれて、

僕としてはとても助かる。

買い物してる時に、

店員さんがEnglisch(スペルミスではありません)と言った時の発音が理解できないと、

今度はフランス語で話しかけてきたりなんかして、

と共に、ヨーロッパの多言語性にびっくりする。


ちなみに、一番驚いたのはホームレス。

最初は、相手がホームレスとは知らずに、

色々話しかけられてきたから、

「ドイツ語はあまり分からないのです…」

とドイツ語で答えたら、

「じゃあ、英語は?」

と聞かれた。

「分かりますよ!」と答えたら、

"Litttle... Tiny... Bit of... Money... Coin..."

なとど小さな声で考えた上で、

"Do you have a small penny?"

と、上手く言葉を選んでた。

その言語センスに感動して、思わず数セントあげちゃった!

この状況において、こういうフレーズが出てくる人が、

特に"penny"って単語で「ほんの少しだけ」というニュアンスが表現できる日本人が、

何人いるのだろうか?と考えてしまった。


もちろん、ボキャは完璧ではないけど、

(それは僕も同じです。俺は完璧だ!と思ってる皆さん、incandescenceって何か知ってますか?白熱灯の事です!日常用品ですが、知らない人も多いでしょう!)

発音は、ほぼ完ぺきで聞き取りやすい。

たまに、母音がちょっと深めになったりするくらいで、

それはそれで、方言として面白いな、

という程度の物です。


英語が通じるって、素敵!

日本も、英語で全てができるようになるといいな。

帰国したら、中国人観光客になりすまして、

英語で全部やってみようかな。笑笑

2010年8月29日日曜日

ケルン市内

ケルンの町はとても快適です。

まず、ケルンの大まかな地図。



新しい家は、青いところです。

世界遺産の大聖堂は赤いところで、10分くらいで歩けます。

ちなみに、大聖堂の隣が中央駅です。



徒歩3分にスーパーや薬局(黄色の辺り)もあり、とても便利。

閑静な住宅街という感じ。

家からの窓の眺め。



大聖堂の反対側には、

カフェ的なビアガーデン的な場所がライン川沿いに広がる場所があって、

古い街並みが見れます。(オレンジ)


そして、もうちょっと内陸に入ると(紫)、

ショッピング街があります。


写真は、ちょっと奥の方なので栄えてないように見えますが、

電気屋さん、ブランド服、デパート、本、何でもここで揃います。


とにかくドイツ語と、ドイツの習慣がネックです。

お店に入ると、どんな店であろうと、店員が

"Guten Tag" "Hallo!"などと挨拶してくる。

それに、笑顔で答えないと、無愛想な客という扱いになる。

ドイツ語が喋れない身に、「まず挨拶!」というのは結構キツイ。笑

でも、最初一言かわすだけで、相当に対応が変わる。

お店のサービスはすごく良くて、

個別の相談にも応じてくれる。

「こういう服を探してるんだけど…」

「こういうの、置いてないかしら?」

と聞くと、高級店でなくても、色々と提案してくれる。

とても、親切。

そして、9割方の店員さんは、

「英語はちょっとだけ…」

と日本人みたいな反応をしながら、

めちゃめちゃ英語で喋ってくる。

この辺りは、さすがドイツだし、とても助かる。


とりあえず、簡単なフレーズだけ使いまわして、

今日も街中に繰り出そうと思う。

とはいえ、今日は日曜日。

お店はだいたい閉まってるんだろうな~。

2010年8月25日水曜日

thalysの中で

今、まさにParis Nord駅を出て、

Köln Hbfへ向かってます。

パリでの数日間の事について更新する機会が無かったので、

せっかくなので、ここで振り返りたいと思います。

さてさて、今回の滞在は、大きく分けると3つの成果があったと思います。


①友達関連

日本で知り合っていて、パリに留学に来ている友達に会えた事。

PCPからHECに行ってる友達はもちろん、

Sciences-Po時代の友達や、

大学のフランス語の授業が一緒だ子にも会えて、

とても楽しかった。


②等身大のパリを再認識

La Défenceのビジネス街、

パリ市民の憩いの場のBois de Boulogneなど、

普通の観光ではなかなか行かないような場所に行けた。

友達が住んでる一般の民家にも入ったり、Passageを歩いたり、

観光地としてではなく、住む場所としてのパリの在り方を認識。


③パリと比較した状態の日本を再認識

パリからすると、日本のこんなところが変かな~という点をいくつか。
  • 異常な時間でも店がやってる
  • ビジネスマンがいつまでも仕事をやってる
  • 一般人が街中を歩く時の危機意識が少ない
  • ゆっくり人と話せる場所が少ない
  • 街全体に統一感を持たせようという意識が皆無
  • 「流行に乗る」といいながら、皆が付和雷同で、多様性が少ない
  • 皆がブランド物を持ってる
特に治安については本当に思う。

Sciences-Poの時とは違い、

基本的に個人で行動してたから、

治安に関してはとても敏感だった。

日本ってアホみたいに安全。

とても気持ち悪いけど、「おめでたい国」だと思う。


④その他

他には、有名な絵画見たり、美味しいワインを飲んだり、

と、フランスを満喫した。


特に、Impression, soleil levant (Claude Monet)が一番好き。

たくさんの船が描かれているのに、

主役は、あくまで太陽になるように工夫されている。

だから太陽が、Soleil levantなのだ。

しかも、「ルアーブルの長め」というタイトルではなく、

Impression (印象)とつけた。

本当に、Masterpieceだと思う。


あとは、ワイン博物館。

ソムリエさんとワインの話をしてたら、

"Are you a wine expert in your country?"

と聞かれた。

"Do I look like one? I'm just a student."

とか冗談言ったら、

"Oh, then you're a great wine lover"

って言われた。笑


でも、これらはおまけ。

やっぱり、①~③が今回の成果。

今後の自分にとって、大きな資産になる。


さて、リエージュを通り過ぎ、

そろそろ、ベルギーも中盤で、

あと一時間もしないうちにケルンに着く。

駅についたら、ケルン大学の学生が僕を待っててくれて、

そのまま、新しい家までタクシーで行く。

家では、大家さんが待っててくれて、

そこから、本当の留学生活が始まる。


力の抜けた笑みがこぼれるほど緊張して、

胃の裏がキリキリ痛むくらい楽しみ。

とりあえず、進むしかない。

進めば、きっと色々と見えてくる。

この感覚、去年のABFの企画以来。


そういえば、去年立ち上げたABFは、

今年も後輩が続けてくれていて、

おそらく今は最終日の打ち上げをしている。

聞いた情報によると上手くいてるみたいで、

僕はとても幸せ。

僕がPCPのためにできた事は少なかったけど、

このABFだけは他人に誇れる成果だと思う。


ドイツでは、僕は何者でもない。

日本での全ての肩書が通用しない。

だからこそ、人間としての僕が試される。

その勝負が、あと数時間で始まる。

半年で、何者かになって帰ってこれますように。


でも、その後はGEに入り、何者でもないところからスタートする。

そして、そこから何者かになれたら…

どうなるのだろう?


人生、新しい環境に入り、何者でもないところからスタートし、

何者かに成り上がる事に繰り返し。

とりあえず、自分の全てを出し切ろう。

人間としての金森俊揮を思いっきり表現しよう。


もう、アーヘンに着いて、

車内アナウンスがフランス語からドイツ語に変わった。

街並みもドイツになった。

いよいよだ!

頑張れ、自分!

2010年8月21日土曜日

Palais de Chaillot

早朝。

お腹が空いたので、

パン屋さんやってないかな~と思って

暗い中出掛けると、

町全体に人気がなくて、

パリは薄暗く、恐怖を感じさせる雰囲気をもつ町になっている。

若干人は歩いてるんだけど、

すれ違った人数名に囲まれたら、俺、アウトだよな~

って思う場面がずーっと続く。

通常の生活時間以外の時間帯は、

あんまり環境がよくない。


さて、Palais de Chaillotまで行ったのですが、

店が全く閉じていて、

6h45になっても開く気配がないので、

ホテルに引き返してきました。

そうそう、エッフェル塔の横から朝日が上がる光景が偶然見れて、

景色はいい感じだった。

でも、昨夜遅くまでChaillotで、イベント的なものをやっていたせいで、

紙類やらビールの缶やらがそこら中に散らばっていて、

せっかくの景色のよさも半減。

一応、世界遺産なんだけどな、ここ。苦笑


ちなみに、面白かったのは、6時15分前後くらいから、

町の至るところに清掃員が出てきて、

イベントで汚れたChaillotはもちろん、

町中を箒で清掃してた。

おそらく、50m間隔おきに一人くらいの勢いで。

パリの清潔は、彼らによって保たれてるんだな~と実感。

ちなみに、市役所の職員だそうです。

日本も、増税した上でこうやって雇用増やしてけば良いのに、と思う。


さて、7時過ぎたところで、

そろそろカフェもどこか開くかな。

昨日は31時間あって、

時差の都合で食事が適当だったので、

今日は朝からちゃんと食べたい。

どこか開かないかなぁ~

From Paris

31時間の、長い長い留学初日が終了しました。

家出発~成田空港:2時間

成田~ローマ:12時間

ローマ~パリ:2時間

パリ~ホテル:1時間

途中のTransitの時間とか抜いても、

17時間かかってるんですね。

やっぱり、日本からヨーロッパって遠いですね~。


さてさて、昨晩、PCPのみんながくれた、

Traveller's Notebookの一ページ目を使いました。

これ、もらった状態から結構改造していて、

名刺ホルダー付けたり、ペンホルダー付けたりして、

結構ちゃんと使ってます!

リフィルも、日本から調達して、持ってきてます。

みんな、ありがとう!


さてさて、出発前夜のエントリーでは、

長期の留学に行く人たちから聞いたの話と比較して、

僕の気持ちが中途半端な状態であることを書きました。

でも、実際出国してみると、

覚悟とか、緊張とか、日本を離れる寂しさ、留学への期待、

いろいろな気持ちが、複雑に混ざり合って出てくる。

成田空港出るまでは全然大丈夫で、

その後も、結構平然と飛行機に乗ってたんだけど、

バルト海上空あたりで、精神的に不安定になって、

ちょっとだけ一人で泣いたりしたな~。

これは、なってみないと分らないかも。


あと、みんなに報告したいのは、

ローマの人たちは、愛情表現がオープンで、

日本人の僕としては、若干困ったこと。

飛行機の席は、窓側3人席の通路側だったのですが、

僕の隣が、イタリア人カップルで、

フライト中、ずっとチュッチュとキスしてる音が聞こえてきて、

膝枕なんかしてて、めっちゃ困りました。

結局、12時間、それに付き合う羽目に…。笑


パリに着いて感じたのは、

フランス語が・喋れなくなってる~ということ。

簡単な買い物で一々不安になってる自分がいて、

ちょっと恥ずかしかった~

結局、語学って使わないとすぐ忘れるのかね。

とすれば、何語を使って、何語を使わないか、

取捨選択する必要がありそう。

とはいえ、パリ滞在中は英語だけでも大丈夫だけど、

ドイツ留学中はドイツ語も必要だと思われるから、

当面は、母国語の日本語、仕事で使う英語+ドイツ語にするしかないかな。

長期的にはどうしたいんだろう?

考える価値、ありそう。


あと、パリってそんなに素晴らしい街かな?

っていうのを、昨晩感じた。

昔、一ヶ月住んでて、素晴らしいと感じたのは事実だけど、

自分の中でイメージが過大解釈されていた感じ。

僕は将来住みたいと思うだろうか?

考えてみよう。

比較対照として、ドイツのケルンという町があるし。

それによって、将来フランス語をどの程度必要とするかが決まる。


さて、そろそろ午前4時半。

軽くシャワーでも浴びて、朝ごはん調達したら、

セーヌ川沿いをジョギングでもして、

体起こしますかね。

昨日は、一日中、座ってたようなもんなので、

体動かさなければ!

2010年8月19日木曜日

日本で最後の一日

今日は、日本最後の一日。

朝から荷詰め。

預ける荷物は23kg。

超過料金取られないか、ちょっとだけ心配。


それより、

朝からパソコンが不調でどうなる事かと思った。

結局正午くらいからずーっとPCに向かいっぱなしで、

慌ただしく過ごしてたら、いつの間にか一日が終わってしまった。

結局、Windowsを再インストールして、

プログラムを最初から入れなおし。

幸い、データ関連はすべてバックアップが取れたので、

大きなダメージもなく、

ただただ、時間だけが過ぎた。

午後、留学の荷物にリカバリーディスクが必要ということに気づき、

夕方にDVDやらメディアケースやらを買いに行き、

仕事から少しだけ早く帰ってきた父親を交え、

家族3人でワイン片手に夕飯を食べ、

さっき、僕が用意してたEisweinを空けました。


結局、日本を去るという実感もなく、

特に大きな怖さ・悲しみといったネガティブな感情もなく、

人生の一区切りをここに付ける、というほどの精神的な余裕もなく、

一日が終わろうとしている。

PC不調のせいで、手荷物まで手が回らなかったので、

手荷物の整理は緊急の課題かも。


半年の留学って、微妙な長さ。

去年、一か月パリに行った時は、

特に日本を離れてさみしいとも思わなかった。

大きな覚悟は無かったし、

前に向かっていく気持ちがいっぱいだった。


友人の中には、1年のいわゆる「交換留学」を経験した人も多いけど、

彼ら・彼女らは、挑戦心・野心の中に、

結構な覚悟というか、畏れを持ってる人が多かった。


僕は、半年間の留学。

その意味では、とても中途半端。

長いけど、決してめちゃめちゃ長いわけではない。

覚悟も中途半端、日本を離れる寂しさも薄く、

一方で、前に向かっていく気持ちも薄い。

ちょっと眺めの旅行にしては長いし、

なんともキリが悪い。

中途半端な将来への期待と、覚悟をもって、

明日、僕は日本を旅立つ。

明日の夜、僕はどんなことになってるんだろうな?

フランスで、ドイツで、

多少の夢をもって、

そこそこの覚悟をもって、

旅立つ。


結局、PCの修復に追われて、

日本で最後の一日は、

なんとなく過ぎて行った。

また、6か月後には戻ってくる。

そう思うと、そんなに怖くはない。

2010年8月17日火曜日

フォームチェンジ

最近、膝が痛くてランニングの量を結構落としてたんだけど、

昨日フォームチェンジをしたら復活しました。

ランニングを初めて3カ月くらいだけど、

既に2回目のフォームチェンジ。


走り始めた時は、

走る=ふくらはぎで地面を蹴る

だと思ってた。

でも、5km走れる体力がついてきた頃から

ふくらはぎの筋力の限界にぶつかり、

15km走った時に、走り方を変えない限りは無理だと気づいた。


そこで、ネットで読んでみたところ、

「摺り足走法」といって、ふくらはぎで蹴らずに、

太ももで支えると良いと書いてあったので、

走り方を変えてみた。

すると、ふくらはぎは楽になった代わりに、

今まで使ってなかった太ももの筋肉にも負荷がかかるようになり、

走りながら鍛えていった。


そして、自分用のランニングシューズを注文して、

そこそこ走り込める体力もつけて、

20-25kmくらいは走れるようになった。

と同時に、22-23kmくらいに太ももの筋肉の限界があって、

25kmより先に走れる気がしなかった。

と同時に、膝が痛みだした。


膝を直したら、走り込んで筋力を鍛えようと思い、

メニューを軽くしながら回復を待ったんだけど、

膝はなかなか治らず。

そこで、ひざ痛の対処法を調べようと思って、

ランニングの本を探していたら、

フォームが悪いとの事。

腰が落ちていてお尻の筋肉が使えてない、

骨盤が固まって回旋していない、

等の可能性を指摘された。


そこで、昨日、またフォームチェンジを試みたら、

膝・太ももが随分楽に走れるようになった。

と同時に、お尻のところの筋肉に負荷がかかるようになた。

ついでに、腹筋や背筋にも負荷がかかって、

体全体で走れてる感じがする。

でも、この新しく使われる筋肉は、

長距離走用に鍛えられて無かったから、

5km走るのも結構キツイ。

~~~~~~~~~~

プロフェッショナルって、どんな分野でも、

使える物を全て使いこなして最大限の成果を出してる。

効率よく、楽なスタイルを持ってる。

マラソンなら、体全体を使って走る。

コンサルタントなら、自分の人脈・経験・知識とか。

テスト勉強なら、単語カード等のツールや、先輩などの話、過去問など。

新しい事にチャレンジする事の本質って、

そのスタイルを獲得するために、試行錯誤する事だと思う。


その「スタイル獲得法」を多く持っていれば多く持ってるほど、

未知の状況に直面した時に強い。

就職活動の時に、やたら挫折した経験みたいな事を問われるのも、

ここに理由があるのかもしれない。

そして、僕が留学するのも、結局は

「今の自分のスタイルを崩し、新たなスタイルを獲得する経験がしたい」

という事なのかもしれない。

その時に、例えば囲碁を始めた時はこういう方法で向上したとか、

パリで生活してた時はこういう風にして自分スタイルを確立したとか、

経済学の試験がある時にこういう風に準備したら上手くいったとか、

そういう過去の経験が役立つのかもしれない。


さて、体全体を使って走るという感覚がだんだんできてきたし、

今日も7km目安に走ろうかな。

2010年8月11日水曜日

功利主義/自由至上主義

最近、哲学に興味を持ちだして、

流行りのMichael Sandelの講義をまとめた本を読んでます。

英語版は、ドイツで仕入れるとして、

とりあえず概念だけ理解するために日本語版で。

知らない方のために説明しておくと、


NHKでも報道されました。


その中で市場と倫理に関しての章があったので、

ちょっと取り上げてみたいと思います。

本をお持ちの方は、第四章の部分ですね。

講義をご覧になった方は、Episode 5 です。

Youtube版もあるので、貼り付けます。




さて、この章のメインテーマは、(英語版の要旨はSandel自身の物があります)

市場で取引して良い物とダメな物の違いは何だろう?

という事だ。

例えば、傭兵性、または徴兵性において代理人を調達すれば徴兵が免除されるケースと、

代理母出産に報酬を与えるケースが取り上げられていて、

どちらも、「兵力」「出産能力」といった物を市場で取引して良いのか?

という議論になっている。


経済学的には、YESに決まっている(第三者への悪影響があるなら別だが)。

確かに、経済学を学び始めた時にこんな問いは頭に浮かんだんだけど、

学問を学んでいくと不思議で、

いつの間にか疑問が消えてしまっていて、

功利主義的な考え方、市場では原則としての自由至上主義的な考え方に

いつの間にか染まってしまっている。

怖いな~って改めて思う。


さて、一番面白かったのは、

市場取引は事実上の奴隷制になっていないか?

という議論。

例えば、

イラクでアメリカのために戦っている人々の圧倒的多数は、都市部のスラム街や地方の貧しい地域の出身だ。こういった地域では、最高四万ドルという入隊一時金や教育を受ける際の数々の得点はきわめて魅力が大きい。大学に入る選択肢を持っている人間にとって、こうしたインセンティブは―自分の命を危険にさらすことになるのであれば―あまり意味がない。

というような事実からうかがえる。

社会階級的に選択肢が少ない人間が、

高額報酬を求めて、兵士になる。といったお話である。


僕がこれまで、約4年間かけて学んできた経済学は、

希少な資源の配分を扱う学問で、

この問題は、まさに労働という希少資源をどう配分すべきか、という問題なのに、

経済学はこの問いに対する答えを教えてくれない。

全く役立たない。

そう思った瞬間、気の抜けた笑いが出てしまった。


しいて言うなら、

市場が決定しているこの諸労働条件に対して、

一番応募したい人が応募してきていて、

そこまで応募したくない人は応募していない。

一番この報酬に魅力を感じる人がこの職にありつける。

その貧困層の人間がいたとして、

少なくとも兵隊に応募しなかった場合と比べれば、

彼の効用は上がってる。

また、軍隊も最低限のコストで労働力を調達できている。

素晴らしいマッチングではないか。

といった議論にでもなるのだろうか?

ちょっと寂しい。


僕が、自分の中に感じている、現状に対する違和感は何なんだろう?

少なくとも、経済学はそれを説明してくれない。

これを、論理的に説明できる言葉を、

近いうちに身につけたいな、と思う。


次、代理母出産の話。

ここで興味深かったのは、

女性の妊娠力を商品として売って良いのかというお話。

本の中には、エリザベス・アンダーソンという道徳哲学者が紹介されていて、

品物や社会的な営みを評価するには正しい方法でも、そのまま人間に当てはまるわけではない

という考え方が紹介されている。

果たしてそうだろうか?


このポイントに関しては、女性の性機能を売る事に問題は無いだろう。

というのが僕の読んだ時の意見。

男性側で考えれば精子バンクは存在するし、

もっと軽度な物で考えれば、女性アイドルだって、

市場で女性が評価されている状況と等しいと思う。


これらと代理母出産を明確に区別し、

代理母出産をNGとする考え方があるなら、

是非聞きたい物です。


この功利主義に毒された心に、

道徳観が戻りますように。


これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍

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stars皆、哲学的議論に飢えていた
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2010年8月10日火曜日

もし僕が死んだら

臓器移植の問題がニュースになってますね。

改正臓器移植法により、

移植に同意する署名がなくても、

生前に本人が意思表示をしていれば、

家族の同意のみで臓器の移植が可能になるという物。


さてさて、この問題、とても深いと思います。

とある国会議員さんのブログには、この出来事を歓迎する記事が掲載されていて、

WHO基準に近づいた、などと書かれています。

一方、こちらのブログが指摘している通り、

金目当ての脳死判定などが起こりやすくなると思います。


これらをどう抑制するか、というのが今後の課題なんでしょう。


僕は正直、自分自身が死んだor脳死状態になった時、

自分の臓器を提供したいかどうか、分かりません。

自分の意識がなくなった後に残った肉体でも、

その物体は自分自身の一部であるような気がして、

それが人為的にバラバラにされていくのは気持ち悪いような気がします。

一方で、自分の臓器が、他人の中で生き続ける事にはプラスな意味合いもある気がして、

しかも、他の人の命に役立つのなら・・・

なおさら迷います。


だから、僕はこの問題に対しては、暫定的には保留にしたいと思います。

僕は、現段階では、脳死・死亡した時には臓器提供をしません。

Blogに明言しておけば、

誰かに悪用される事は無いでしょう。

ただし、これは暫定的な事。

もし臓器適用する意思が固まったら、

もう一度ブログ上で表明します。

2010年8月10日

2010年8月9日月曜日

Matt Ridley: When ideas have sex




<概要>

交換という行為によって、人類は経済的に豊かになった。

それは、分業による効率性の向上による物である。

「PCマウスを作る」などといった、

自分一人ではできない事を成し遂げられる社会が出来上がったのである。

(我々は作り方を知らない、電機会社の社長は経営方法しか知らない、生産ラインの人間はプラスチックの作り方を知らない、etc.)

交換経済によって作り上げられた「ネットワーク社会」の一つの部分として我々は存在している。

ネットワークを通じて様々なアイデアが融合する事で、

技術進歩が起こり、人類の生活水準も向上するのである。


<感想>

交換経済・分業経済によって人類が豊かになるというのは

Adam Smithの『諸国民の富』のメインテーマで、

(「神の見えざる手」の方が有名になってしまっていますが)

その点に関しては疑いの余地は無いと思う。

自分一人で、もしくは自分の周りの数人だけで成し遂げられる事の枠に収まらず、

何千・何万という人たちの仕事の成果物を利用できるという現代経済は、

とても便利だと思う。

僕の大好きな本で『君たちはどう生きるか』という本があるのですが、

主人公のコペル君は、「人間網の目の法則」

と呼んでいたっけ。

僕は、このブログはSONYのPCを使っている。


確かに、"MADE IN JAPAN"となっているが、

AC AdapterはMade in Chinaになってる。

この講演のビデオの内容のノートを取ったメモ帳は、

Rhodiaなのでフランス製。

万年筆はLAMYなので多分ドイツ製。

でも、その部品一つ一つを見れば、

PCのHDDのパーツはベトナム辺りで生産してるのだろうし、

Rhodiaの一部部品はスイス辺りで作ってるのかもしれないし、

世界中がネットワークになってる。

そのネットワークのお陰で、

この講演が聞けて、ブログが書けてる。

何て幸せな事だろう、と思う。


ただ、講演者はこのネットワークが、

そのままアイデアの世界でも使える事を仮定している。

本当にそうだろうか?

僕が良い起業のアイデアを持っていたとして、

諸々の資源の問題でそれを実現できずにいたとしよう。

交換経済のネットワークは、このアイデアを他のアイデアと結び付けて、

"Sex"が起こるような事態を引き起こしてくれるだろうか?

いや、きっとそうはならないだろう。


しかし、例えば、Web 2.0的な、

例えばOpen Sourceのようにウェブ上で技術者が共同開発ができるような環境があれば、

アイデアは掲示板で議論され、

技術は他の技術と融合し、

あっという間に、例の「ネットワーク」ができる。


つまり、自由交換経済とは別に、

アイデアが互いに触発されるような基盤が必要である。

ちなみに、アイデアは限界生産コストはゼロ(移転可能)だが、

自然独占的(アイデアの価値は最初の一回目しか無い)である上、

供給側と需要側での情報の不完全性がある(アイデアの価値は、知る前に分からない)ため、

なかなか取引を通じては起こらない。

つまり、自由交換経済において、個人の幸福追求は、アイデアの相互触発を抑制する原因にもなる。


さて、アイデアが互いに触発されるような環境とはどういう場だろうか?

もし、人々が利益を欲しがらずに、

アイデアを出していく楽しみだけを目的としているなら、

放っておいても、アイデアは相互触発される。


しかし、通常は利益欲しさに、アイデアはため込まれたままではないだろうか?

その場合、良いアイデアを提供する事が善とされ、

良いアイデアを提供した人に対して何らかの報酬を与えるシステムが必要である。

If not... 利益を欲しがる人々はアイデアを提供しないだろう。


現在のところ、これをSystematicに行う方法は見つかっておらず、

報酬を確定されるためには、誰が貢献者か分かるように、

ある程度小さな共同体が必要だと思われる。

世界中で一つの共同体となる、というのは無理そうだ。


とすると、共通の利益を追求する団体があって、

その中で利益を再配分する、信頼できる機構が必要そうになる。

もしかしたら、企業みたいな共同体が必要なのって、これが理由?

なんて、聞きながら考えた。


ノーベル経済学者のRonald Coaseは

その著書"The Nature of the Firm"において、

企業の存在意義は取引コストの節約

などと挙げられている。


このCoaseの考え方は古くて、

ケイパビリティの構築が企業の本質、

と説いていました。

でも、別の見方として、

良いアイデアへの報償を約束し、

アイデアの"Sex"(相互触発)を起こす共同体、

という考え方もありそうである。


もしそうだといすると、

現代の日本企業って最悪だな~。

青色発光ダイオードが良い例だけど、

素晴らしいアイデアを発明した人に、

報酬を与えないんだもん。


近々、アイデア勝負の時代が来るのではないか、と思いながら、

アイデアを相互触発する共同体の必要性を感じつつ、

この講演を聞いてました。


<参考文献>

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2010年8月8日日曜日

全てが偶然だとどうなる?

僕はいつも、人生に波があって、

自分は、それに乗って生きてるんだと思ってた。

でも、最近、人間が勝手に法則性を作りたがってるだけで、

世の中の全てが偶然なんじゃないか?

と、初対面の子に言われて、

新しい世界観に出会ったと共に、

ちょっと戸惑ってる。


僕が、ドイツに行く事になり、ドイツ語を勉強してるのも、

マラソンに出るために毎日平均で1時間は走ってるのも、

自分が活躍できる最高の舞台であるGEのFMPに内定をもらったのも、

大学生活で誇れる事の一つであるPCPの代表になったのも、

ワグネルという慶應を代表するサークルに入り、2年で辞めたのも、

数学の強みを活かしながら社会科学を学びたくて経済学部に入ったのも、

ぜ~んぶ偶然。


そう考えても、何も矛盾も生じない。

だから、そういう世界観を持っていたとしても、

特に人生において問題は無い。


そう考えたとしたら、

マラソン走るぞという精神力も、

一生懸命ドイツ語を学ぼうとする意欲も、

ぜ~んぶ流れ出てしまう。

「世の中偶然なんだ~!」

と叫びたくなった。

偶然なら、俺が頑張らなくてもいいじゃん、

運がある時はあるし、無い時は無い。


この問いはとても深遠で、

例えば経済学なんかの存在意義を問うてる。

世の中が全て偶然なら、

経済学なんかは全く役立たず。


計量経済学は、一応この部分を否定するためには有用。

偶然っぽければRが小さくなり、

恣意的っぽければRが大きくなり、

そこそこRが大きければ、偶然ではないと解釈しましょう、

という世界。


統計学における有意水準の設定っていうのは、

人間の神に対する挑戦で、

「世の中は偶然かどうか?」という神だけが知る真実に

Type I error と Type II errorの可能性を残しながらも迫ろうとしている。

こう書くと、統計学って格好いいな。(笑)

中学・高校の時の数学の先生も同じ事を行ってたけど、

その意味が今になってようやく分かった感じ。

この辺りの話、文系理系どちらにとっても有益で面白いはず)


「偶然」という物を扱う唯一の学問である統計学がそうなんだから、

結局世の中が偶然かどうかは分からない。

そして、それが「知り得ない事」である事が示されるはず。

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2011卒の就職活動が終わった学生として、

学生側から見た就職活動に対する意見などを述べた。

その時、僕自身は「抽象化力」について評価され、

とある企業の人事さんには、

「金森君みたいな人材をどうやったら取れるのか?」

みたいな話をされた。


その方曰く、抽象化力とは、

複数の事象に共通する部分を抜き出す能力、

なんだという。

数学用語だと「一般化」なんていうけど。


確かに、就職活動やってた時は、
  1. 自分の過去を振り返り、年表等を作る
  2. どんな時に楽しかったか・充実してたか等を整理する
  3. それを元に、一般的に自分がどういう特性を持っているかを考える。(抽象化)
  4. そこから、どんな職種・企業が自分に合ってるかを考える
というようなプロセスを踏んだ。

だけど、人生が全て偶然だと仮定すると、

この抽象化には意味がなくなる。

目の前で実現した各現象にたまたま共通したバイアスを自分の本質と考え、

それを元に就職先を決める。

とても危険なやり方だったのかもしれない。

どうなんだろう?


~~~~~

ここまで書いたところで思った。

全てが偶然なら、つまり、

人生の充実度=定数+誤差項

なら、僕はどうすれば良いのだろう?

無駄に労力を費やすだけ損なので

自分に起こった事を思ったように処理していくのが得策かも。

義務でやる事はなるべくPassiveに、

楽しくてしょうがない物は気分がのるだけActiveに。

こういう事になると思う。


考えてみれば、自分の生き方って、

これにとてつもなく近い。

義務の部分をなるべく少なくし、

Activeに動きたい時はめちゃ動き、

そうでない時は小休止する。


ところで、この誤差項が正の自己相関をしてれば、

人生にはサイクルが生まれる。

それは、偶然のサイクル。

こう考えると、僕の人生が数学モデルで正当化できるかもしれない。

外的なショックが生じて、

誤差項が大幅に触れた瞬間、

誤差が事項相関してる関係で、

一定期間は片側に振れる。

Life=a+e_i

e_i=e_(i-1)+ε_i

僕の人生は、結局はaの周りから離れられないのかもしれない。

このaを変える方法はあるのだろうか?

~~~~~

あと、2週間もしないうちに僕はヨーロッパへと旅立つ。

「留学の目的をしっかり持つ事」なんて大学からは言われる。

でも、そんな目的なんか無くても、

結局、僕はaの周りにいる。

そして、e_iの軌跡が、大学や親に報告する成果。

どんな事が起こるか分からないけど、

全てが偶然だと割り切って、

前に進みたいと思う。

ちょっとだけ、前に進みたいと思う力が強くなったかも。

2010年8月4日水曜日

一歩踏み出す勇気

成田エクスプレスを予約し、

飛行機を予約し、

留学用の保険も申込み、

銀行やカード会社との契約を見直し、

色々な意味で、留学準備が整ってきた。


あとは、パリで何泊するかを決め、

宿泊場所(たぶんCitadines:設備が整ってるのに安い)を予約し、

パリ~ケルン間のThallysを予約し、

家主と家の鍵の受け渡しの約束を取るだけ。


それができれば、最低限、僕は留学に行ける。

ここまで、やらなきゃいけない事に追われてたけど、

やる事に終わりが見えて、

いよいよ留学!となると、

若干の恐れを感じる。

「よし、いくぞー!」ってなるはずのところが、

心が100%前を向かずに、

ちょっと後ろに引っ張られるような要素がある。

不思議だなぁ~。


パリでは、PCPの仲間に会ったり、

昔行けなかった場所に行ったり、

逆に、昔よく行ってた場所を訪れたりなんかして、

のーんびり楽しく過ごす。


ケルンに着くと、

生活の基盤を作るための仕事をし、

大聖堂や美術館なんかをめぐったりしてると、

きっと授業がすぐ始まる。

ドイツ語は真面目に勉強してきたから、

レストランの注文とか最低限の事はできる自信はあるし、

英語なら日常生活レベルにおける不安は無い。


人生で初めて家事を全部自分でするけど、

きっと何とかなると思う。

家は1DKで、一人暮らしにしてはとても広いし、

ネット接続も、電話接続もデフォルトで付いてて、

手間はかからない。

生活に関して、本当に困ったら、大学が助けてくれるだろうし。


100%で前に進めないのは、何でだろう?

日本でやり残した事があるわけでもない。

最低限の直前に会いたい人は、基本的に連絡を取ってて、

おそらく、ほぼ皆会えると思う。

もう既に、会えない人も何人かいるだろうけど、

だからって、半年後に僕が日本に帰ってきたとして、

関係が途絶えるかどうか、くらいの危うい関係にはならないと思う。


二郎もすた丼も食べたし、

寿司も天麩羅も蕎麦もうどんも食べた。

うな重だって、牛丼だって食べた。


六本木ヒルズも行ったし(アカデミーヒルズの解約もしました)、

東京タワーも登ってないけど拝めてきた。

横浜スタジアムも行ったし、中華街も見た。

慶應の三田キャンパスも訪れたし、

福沢諭吉のお墓もお参りに行った。


ケルンでマラソンに出るのはめちゃ楽しみだし、

早く現地で銀行口座開いてエントリーしたい。

トレーニングは相変わらず順調で、

昨日も今日も10kmずつ走った。

ペース的にも、4時間切れそうなペースで練習ができてるし、

予定通りの完璧な調整状態、という感じ。


でも、ほぼ全ての舞台が整ったところで、

最後の一歩を進むのがちょっとだけ怖い。

人間は、不確実性を目の前にすると弱くなるのかもしれない。

その一歩を踏み出さない訳にいかない。

ちょっと怖い。

でも、もう後戻りできない。


明日は、浅草寺にでも行こうかな。

僕は、何かあるといつも浅草寺に行ってお参りする。

どんなに海外生活をしたとしても、

きっと、浅草寺だけは、たまに寄りたくなるんだろうな。

あのお寺には、色々な思い出がある。

それをお話するのは、またの機会にしますかね。

2010年8月3日火曜日

お金関連

ケルンへの留学の準備として、

今日はお金関連の管理をした。

特にクレジットカードについては、

紛失した時の連絡先とか、

付帯する保険の内容とか、

細かく調べた。

大学1年生になった時は

よく分からずに保管だけしてたカードの契約書類なんかも、

全部読みなおしてみた。


そうしたら、カードの便利さと面倒さが分かった。

学生だから年会費無料だけど、

社会人になったら、年会費払ってカード使うんだよね~。

カードって「解約しよう」と気にならないとなかなかできないし、

何枚も持つと保険の内容で不利になるし、

色々考えさせられた。


社会人になったら、

カードを何枚も持つよりも、

一枚に絞りたい気がする。

僕はどんなカードが欲しいかな?

世界中を飛びたいという夢が実現できたら、

アメックスのゴールドカードを持とう。

これは、今日考えた中での決定事項。


社会人一年目はどんな生活をするのかな?

無難な生活をするなら、

MUFGのゴールドカードとかが無難かな?

国内飛び回るんなら、Citiのゴールドかな?

いや~海外も行きたいから、

グリーンでいいからアメックスが欲しいな~。

なんて。笑

なんという妄想でしょう?


契約書類を探しては読み、探しては読み、

してたら、あっという間に夕方。

時間が経つのは早い事。

銀行口座とクレジットカードは上手く使わないと、

逆に自分の資産がいくらあるのか混乱しそう。


社会人の皆さん、気をつけてください!笑