2011年3月2日水曜日

健康診断

今日は、内定先の入社時健康診断を受けた。

朝、到着すると、いきなり中で迷う。

そして、少し遅れて窓口で名前を告げる。

見渡すと、健康診断やら人間ドックを受けてる人がたくさん。

霞ヶ関にこんな医療施設があるなんて知らなかった。


僕は簡単な検診のみなので、着替える必要もなく、

ロッカーにコートとカバンだけ入れて検診をスタート。

「今日は、お名前ではなく、こちらの番号でお呼びしますね。」

と告げられ、301と書かれた番号札を受け取る。


人を個人名ではなく、番号で管理し始めた途端、

急に「ヒト」が「モノ」へと変わる気がする。

僕は今日は、「金森俊揮」という一人の人間というより、

「検査対象301」だった気がする。

アウシュビッツも、囚人○号、っていう管理の仕方をした途端、

人間が人間として扱われなくなったんだよな~

なんて思い出しながら、最初の診断へと向かう。


僕が今までに経験した事にないくらい、システマチックに管理された診療所で、

一つの検査から次の検査へ、流れるよに進んだ。

「次は窓口13番の内科までお願いします」

と言われて、13番へ行くと、

「301番の方どうぞ」

と言われて、5分程度色々見て、

「次は14番の眼科まで」

という感じ。


ヒトをモノとして管理すると、効率がよくなる。

広告代理店では、

おおかたの芸能人がどんな性格で、どんな層から人気があって、

といったのが数値化されたデータベースがあって、

CMの内容と照らし合わせて、誰を使うか決めてるのだとか。

芸能人やAV女優なんかは、完全にヒトが商品だから、

ある意味では、モノ扱いされてるんだよね。

こんな事を考えながら、あっという間に検診は終了。

尿意がなくて、検尿で立ち止まった以外は、

大きな問題もなく終了した。


さて、ここまで書いてみて思ったのが、

「ヒト」と「モノ」って何が違うんだろう?

パッと思い浮かぶのは、主体性があるかないか。

ヒトは意思を表明をする事ができるけど、

モノはそれができない。

その意思を尊重しなければならないから、扱い方を変えるべき、という事か。

でも、モノは意思が無いのかな?

それとも意思はあるんだけど、表明する能力を持ち合わせてないのかな?

石ころだって、あちこち投げられて削られて、という扱い方より、

キレイに装飾されて飾られてた方が嬉しいと思う。

なんだか、難しい。


そう考えると、何かの行為の対象物として何かを「モノ」的に扱う事は、

人道的に間違ってるのかもしれない、と思えてくる。

何をするにしても、その物の気持ちになって考えるべきなのかもしれない。

このDVDは、AVを大量に隠すために使われるより、思い出の写真を詰められた方が幸せだろうし、

僕のカバンは、床に置かれるより、持ってもらってた方が幸せなんだろうな。

本棚の本は、読まれないなら、もっと読んでくれる誰かに譲られた方が幸せなのかもしれない。

なんか、不思議な倫理観に到達した気がする。


とはいえ、僕らは、生きていた方が幸せだった牛の肉を食べ、

地中に埋まってる方がハッピーだっただろう石油を燃やして電力を消費し、

森の一部であるはずの木を切り崩して作られた紙を何枚も消費し、

寝てる方が幸せだった自分の体をたたき起こして生活をする。

人生って、資本主義って、かなりエグいね。


なんか、とりとめのない日記になってしまった。

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