2008年12月14日日曜日

反証

最近、「自分の能力を社会に還元する」という考えについて、友人と議論する事がたくさんありました。

一番最初は、経済学部生らしく、自由放任主義者になりきって、

「自分がそれをやる事をHappyと感じるならばやるべきだし、そうでなければやらなくていい。」

なんて主張した上で、行動経済学の最新の研究成果を利用して、

「人間は目の前にある利益を確定させたがるから、今が楽しくても、将来から見た時にHappyかどうかは考えなければならない。」

とか言いました。

でも、帰りの電車の中で、

多分彼は厚生経済学とか資源の最適配分を超えたところでの話をしてたのかな?

と思ってしまいました。

経済学っていうのは、1つの判断軸としては優れていて、「資源の最適配分」という価値観を前提におけば、何でも理論的に扱える。

論理的に反証できるので、YES・NOがはっきり出しやすい。

だから学問として成り立つんだけど。

ただ、世の中は資源の最適配分とかじゃなくて、もっと倫理的な道徳的な次元の考えってのもあるんだよな。

「優秀な能力を持っている人は、自主的に、自分の能力を社会に還元するべきだ。」

っていう主張について、どう肯定、または否定するんだろう?

これは、「なぜなら○○だから~」という風に言ったところでその話には根拠の無い価値判断がたくさん紛れ込んでくるので、反対意見も簡単に作れそうだよね。

だからディベートって面白いんだけど、でも答えを考えたい時は難しい。

個人的な感情は、「還元すべきである」なんだけど、その理由としては…

優秀な人は、社会に支えられてその能力に磨きがかかるし、いい思いをさせてもらってる。
⇒社会に支えられた分は社会に還元するべき

っていうところかな。

自分が優秀って言うと変に思われるかもしれないけど、慶應入らせてもらったり、GPA4.0だったり、少なくとも上の方にはいるんだよね、多分。

どんな風にいい思いさせてもらってるか、っていうと、

1.慶應の奨学金。先輩方が積み立ててくださっている物の一部をいただいている。
  ⇒三田会には感謝で、還元するのは後世だね。
  ⇒後世に還元できるように、今は勉強しよう。

2.次世代リーダー養成塾。県や企業からの補助金50万円程度+人脈・すばらしい講師陣の話を聞く
 ⇒県のお金は税金だから重いよな。これは、社会全体、特に神奈川県に還元ですかね。
 ⇒神奈川県政策課の政策ワークショップに参加する、というのは還元になっているのかも。

3.大学に在籍していること。
 ⇒大学っていうのは、「優秀な人を教育する」という場所で、そのために国から補助金が出てる。
  (慶應は国立じゃないけど、多少は含まれている)

ざっと思いつく限りでも、これだけあるからね。

挙げてくと、きりが無いんだけど。

まぁ、こんな感じで色々いい思いをさせてもらってるから、還元するべきじゃない?

っていうのが、道徳に基づいた僕のロジック

「道徳に基づいた」っていうのは、

向こうが好きで補助してくれるんだから、僕たちが何かを犠牲にしてでもわざわざ返す必要はまったく無い。

っていう主張も成り立たなくないし、古典的な自由放任主義の経済学的には多分こっちの方が正しいのかも。

結局ロジックのレベルは、この程度が限度なのかもね。

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