コミュニケーションだな~
なんて思う。
人々が多様になって、
言葉の持つ奥行きも多様化し、
コミュニケーションが取りにくくなってる。
「きちんとやっといて」
とは具体的にどういう事なのか、
「面白い企画」
とはどんな企画なのか、
詳細を詰めて話さないと、
コミュニケーションは成立しない。
「以心伝心の喪失」
といった感じかな。
家族であっても
「親と子供」のように年代が違ったり、
「母親と父親」のように違うコミュニティーにいると、
「何となく」ではコミュニケーションが取れない。
かといって、「厳密に」コミュニケーションするのは面倒。
だから、人々はコミュニケーション不足で孤立する。
資本主義の潮流をくんで、
「個人主義」が台頭してるのも一因だけど。
家族のような身近な人ともコミュニケーションが取れない。
「自分の事を理解してくれ」という不満が溜まり、
「(自分とは違う前提で生きている)相手を理解しよう」
その帰結が、twitterなのでは?
と思うようになった。
140文字程度で自己満足の発信をし、
相手がそれを理解したと思い込み、
相手の反応を求めない。
反応があっても良し、なくても良し、
という空虚なコミュニケーション。
それが現代の問題点なのかもしれない。
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P.S.
日本語は日本共通ではなく、
コミュニティーの中でしか活きてこないという事です。
それを把握しないでコミュニケーションをすると、
自分の所属するコミュニティーにいる人は「仲間」「同士」
そうでない人は「よく分からない人達」
理解しあおうと厳密なコミュニケーションを取る人は「ウザい人」
となるわけです。
「嫌い」とか「嫌だ」っていうのは、
相手のいい分を理解した上での対応だとしたら、
「ウザイ」というのは、相手の言い分を理解しようとしない上での対応。
いずれにしても、コミュニケーション不足は、
この国にとって大きな問題なのかもしれません。
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