それに参加してきました。
今年は日本でやるみたいです。
このミーティング、少しでも後輩のためになろうと思って、
可能な限り毎週顔を出すようにしている。
でも、彼らのためになってるのかな、
と思う事がしばしばある。
例えば、僕が何かを言うと、
何となくその方向性でまとまってしまう。
僕が反論すると、
皆が「そうですよねぇ~」という雰囲気になる。
だから、最近、ミーティングには顔を出しているんだけど、
なるべく喋らないようにしている。
すると、たまに後輩が「金森さんどう思いますか?」って聞くから、
その時だけ素直に答えるようにしている。
そして、ミーティング後は、
たいてい一人か二人に対して、
ミーティングの進め方だったり、
プロジェクトの進め方だったり、
方法論的な意味でのアドバイスをする事が多い。
聞かれるから答えるのだが、
ついついこの話が長くなってしまって、
僕が一つ一つ説明していくと、
後輩は一個一個納得した素振りを見せるんだけど、
「コイツ、明日になったら全部忘れちゃうんだろうなぁ~」
って気が、たまにする。
気づくと、自分は喋る事に夢中になっていて、
話が相手に響いていない事を感じ、
少し恥ずかしくなる。
毎回迷うのは、
このミーティングは僕が出席した方が良いのか?
もしYESなら、どういうスタンスで出席するのが良いのか?
という事。
僕がこのミーティングに参加する事は、
後輩たちにとって、プラスになっているのだろうか?
それとも、マイナスになっているのだろうか?
僕は、後輩の、そしてPCPの役に立つ事ができているのだろうか?
今日は、このミーティングだけのために大学へ行った。
往復2時間+ミーティング約60分。
この3時間を、例えば宿題をやるため、
例えば勉強をするため、
例えば友達と遊ぶために使ったら、
どんなに楽か、どんなに良いか、
と思う事がたまにある。
でも、PCPの5期の代表という立場からなのか、
純粋に先輩としてなのか、
もともと教え好きだからなのか分からないけど、
自分の内側から一種の義務感が湧いてきていて、
だから、少しでもPCPが良い環境になるために僕は動くし、
後輩にも成長機会を与えたいと思い、
ちょっとチャレンジングな事を要求したりしている。
でも、これが上手く機能しているのかは分からない。
だからと言って、止まったらおしまい。
10年後、20年後に皆の記憶のどこかから僕の存在が消えたとしても、
僕の発した何かが後輩の頭の中に残ったり、
僕の表現した何かがPCPに残ってくれれば良いなと思う。
2 件のコメント:
偉いよな~。俺はサークルに顔を出した時、自分が気持ち良く話せればそれで良いと思っている。自身がした発言内容を採用するのも向こうの責任であり、採用しないのも向こうの責任であるのだから、言いたい事は全部言って、さようならしてる。「あとは君達の考えることだよ。僕の持ってるカードは全部晒したから、どうぞ好きなように決めてください。」みたいにね。
でも、後輩にとって本当に良い選択となると話は別になる。「金森の意見に反抗できる人間」、もしくは「金森の意見に組織だって反抗できるグループ」でないならば、金森は手伝い方を変えるべき。
どうしてそうしたのか?どうしてそうしたいのか?何故今回はこの議題を選んだのか。彼らにこういった事を聞く立場であるのはどうだろう。こんなこと金森ならとっくに考えていると思うけど、疑問系でグループに一石を投じるのって大事だと思う。
ちなみに僕はサークルに顔を出して何か言うとき、必ずメモを取らせてるよ。今分かってても、どうせ明日には忘れるんだから必ずメモを取れ!と言ってる。参考までに。
Thanks!
実は、僕疑問を投じると「あんまり考えてませんでした」みたいな感じで、会話がストップして気まずい空気になっちゃう事が多いんだよね。
僕の方が経験が多い分、色々分かってしまっていて、それをつい提供してあげたくなっちゃう、って感じかな。
でも、もっと放任主義でやって、僕が去年経験したのと同じプロセスを経由させて、急激な成長を待つ方法もアリだと思うんだよね。
失敗するリスクと、成長の可能性の間で迷ってます。
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