このYoutubeのビデオを見た事をきっかけで、
自分の家族との関係について考えてみた。
父は日本の大会社に勤め、よく分からないがそれなりのポストについている。
母は専業主婦。
そして僕は、この夫婦のたった一人の子供。
僕が産まれてからの間、
母は家事をしてくれていて、父は色々とお金をかけてくれてたけど、
それ以上にどこまでこの家族がつながってるんだろう、
と考えると自信が持てない。
父は昔から、ちょっと近づき難い存在。
中学の時は野球部に入り、一緒にキャッチボールをしたりしたけど、
あまり上手くなかった僕にあーだこーだ言ってた印象がある。
高校の辺りからは、リーダー塾に参加したり、遠距離恋愛したり、
色々お金が必要になったけど、
結局、ほとんどの事に投資してくれた。
理工学部に行くかもってなった時は、
さすがに修士までは…という話にもなったけど、
こうして経済学部に入ってからも、
パリやケルンへの留学をサポートしてくれる。
その意味では本当に感謝してる。
数万円単位で必要な事があった場合は、
必ず親父を通り、そのたびに相当に緊張した覚えがある。
でも、親父は、僕が何でそのプログラムに参加したいか、
その思惑に触れる事はなくて、
ビジネスっぽい感じで、投資&リターンとして考えてた印象。
母親は、中学生くらいまでは人生の相談相手で、
深夜まで色々話したり、という事もあったんだけど、
高校生に入った頃から、
日常ベースの事以外は何も話さなくなっていった。
大学になると、親父がインドネシアに転勤になり、
結局4年近く向こうにいた関係で距離が遠のいたのは事実だけど。
母親との距離もかなり遠のいた気がする。
もともと、母親は「節約=人生の喜び」という感じの人で、
何か大きく遊びに投資するような人じゃないから、
話題もないし、外出もしないから、どんどん会話が減っていった気がする。
そんなこんなで、中学くらいからなのかな、
「絶対的に肯定されてる感」がどんどん減っていった気がする。
結局、振り返ってみると、その自己承認の渇望を
「世間的に優秀である事」にすがっていた気がする。
親に提出する成績表にはAかBを並べ、
モラルを守るような、「良い子」になろうとした。
そして、そういう行いがきちんと評価されていく、
温かみがある学校だったな~と振り返って思う。
でも、大学に入ると、一人の学生に先生が関心をもつわけでもなく、
自分の目指す方向性を見失ってる気がした。
成績表にはAを並べた。
音楽が得意だったので、慶應で一番大きくて有名で歴史がある合唱団に入り、
でも、結局、なんか合わなかったんだよなぁ~。
もっと上を、もっと「優秀な」という方向を目指して、
大学2年の時はパリに留学し、内定も一つ確保した。
大学3年では、ゼミの代表なんかをやり、肩書きでも「優秀」になった。
内定先は世界に誇れる会社。出世のトップコースといっても間違いはない。
大学4年生になったら、さらに上を目指すべく、ケルンへ留学。
ずーっと長いこと
「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」
というフレーズを念頭において、
自分が評価されないのは、自分がどこか欠点があるからで、
もっと自分をみがかなければならない、
というような価値観だった。
でも、大学2年の頃から、ちょっとずつほころびが見えてきた。
矛盾が明らかになったのが、今回の留学かもしれない。
「優秀」といっても色々な定義があるけど、
- ヨーロッパで「優秀」の方向はきっちり定まらない。色んな優秀さがある。
- Professionalとして優秀でもPrivateは充実しない。
という二つを大きく付きつけられた気がする。
結局、これまでの人生の大半は、
"What should I do?"の答えに向かって動いていて、
"What do I want to do?"の部分がかき消されていたのかもしれない。
結局は、考えをシェアして自己承認してくれる存在が欲しいだけなんだよね。
だったら、もっと違うアプローチを取るべきなんだと思う。
両親とは、あとどれだけ一緒に生活するかは分からない。
帰国したら藤沢に帰るが、就職したらどうなるんだろう?
新宿に新しい家を建てる計画の中には、
僕用の子供部屋もあるけど、それはどうだか。
両親との関係もあるけど、将来の家族になるべく人をみつけるのも課題。
結局は、相互承認しあえる、って事が大事なんだよね。
自分の渇望感があるから、とてもよく分かる。
という訳で、自分なりに突っ走ってきて、
世間的にみれば、かなり「優秀」な道を行ってる(はずの)自分だけど、
案外単純なところの壁にぶち当たった。
まぁ、壁は能力のある人にしかやって来ないらしいからね。
頑張って、超えていこう。
留学来て良かった。
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