慶應で親しくしてもらってる友人に友人を紹介してもらって、今日は彼がハノーファーからケルンに遊びに来ました。
彼のケルン滞在時間は2時間半くらいだったんだけど、大聖堂・旧市街・4711・ショッピング街・クリスマスマーケット(相当に縮小版が残ってました!)等、結構見尽くせたと思う。
アメリカの大学を卒業していて、パイロットになるための勉強をしていたらしい。
ちょっと自分の周りの人にはいないような特殊なバックグラウンドの方で、面白かった。
そして、日本帰っても会いたいな~と感じた。
さてさて、留学に来ていてよく聞かれるのが、「なんでケルンに留学しに来たの~?」という質問。
フランス人には
"Par hasard! J'ai voulu étudier à Paris!"(偶然だよ!本当はパリに行きたかったのに!)
と答えてみたり、
アメリカ人には
"I've lived in the States, I'm Japanese, but I've never had a chance to live in Europe, which is also a big part of the world; economically, politically, and culturally."(アメリカで小学校時代を過ごし、日本で中学・高校・大学と過ごしたけど、ヨーロッパで生活した経験は無かったから。政治的・経済的・文化的にも、ヨーロッパは影響力高いからね~)
と答えてみたり、
ドイツ人には
"Ich habe gedacht, dass es ein gute Möglichkeit ist, Deutsch zu lernen."(ドイツ語を学ぶよい機会だと思ってね~)
と答えてみたり。
相手がどんな人かによって、色々答え方を変えます。
もちろん全部本当。でも、本筋は前のブログの投稿の通り。
英語とはいえ、高校生の後輩も読んでくれたみたいなので難しくないはず!笑
念のため要約すると、
- 高校の時に、パリで生活する事に憧れて第二外国語としてフランス語を履修
- 大学入学後もフランス語を継続
- 就職活動等の兼ね合いで、1年の留学は大学を5年かけて卒業する事を意味し、経済的に不可能だった
- 大学2年生の終わりに、パリ政治学院の短期留学に参加
- 一ヶ月の「特別授業」では十分に文化・生活を満喫する事ができず、生活する事が必要だと実感
- 経済学PCP生用にフランスのHECへ半年留学するプログラムがあると聞いて、PCPに入る
- 僕が大学4年生になる年は、HECのプログラムの募集がなく、代わりにケルンになった
という流れ。
でも、僕がいつも人に答えないのは、
慶應にいるよりもケルンへ行く事を選んだ理由は何?
という点。
つまり、留学に対して僕が何を求めていたか、という事。
という訳で、すこし考えてみる事にする。
僕が慶應に提出したStudy Planにはこんな事がObjectiveとして書かれてる:
- To study about economical/political issues inside the EU
- To experience foreign culture, and improve my inter-cultural communication skills
- To acquire basic German skills
これに追加して、
- To acquire basic knowledge about finance for my future career
という内容が入ってる。
このうち、1と3は内容が明確。
まず、1についてだけど、
- Economicsの授業は履修していない。でも、Business English SkillsやFinancial Statement Analysis and Security Valuationの授業でよくヨーロッパの経済事情を耳にする事が多い。
- EU Politicsの授業は履修している。でも、論文を一枚書く+博士課程の学生がメンターで入るだけ。体系だった知識は身につけられないが、面談をする中でStability and Growth Pactに関して相当な知識を身につけた。
- 卒論のテーマは財政全般だけど、ヨーロッパのケースが相当程度に参考になってる。これは、ケルンで学んだおかげ。
という感じ。履修の関係で色々変わったけど、8割くらいは達成できてるはず。
3については、文句無いと思う。
- ドイツ語の文法に関しては相当慣れた
- 今は、B1レベルの授業を受けている。B1といえば、なかなかだと思う。
- Tandem Partnerを2人見つけて、個人的にも学ぼうとしている
という事で、文句なしの満点だと思う。
もっとやれたかもしれないけど、これが留学に行った成果なのは間違いないと思う。
そして、おまけのファイナンスの知識に関してだけど、
実は、これが一番胸張って帰れるかも。
簿記のバックグラウンドが前提とされている授業に、予備知識ほぼ無しで乗り込み、
実はケルンで最も大変な部類だと言われる授業にも関わらず、なかなかの成績が取れた。
多少、試験の時のツメが甘い部分もあって、Aは撮り逃したし、
これに関しては反省してるけど、
でも、知識を身につけた量に関しては、文句なしだと思う。
この授業を取るためにケルンに来た、といっても良いくらい充実した授業だった。
さて、怪しいのは2の部分。
To experience foreign culture, and improve my inter-cultural communication skills
と書いた時に、僕は何を想定していたんだろう、と思うと、若干ぼやける。
聞こえは良いんだけどね、「異文化体験」とかいう甘い言葉に騙されてた感がある。
僕はケルンに来た初日、その社会システムの違いにかなり困惑した。
スーパーでビニール袋もらえなくて、野菜を両手に抱えながら帰ったり、
日曜日に買い物出かけようとしたらお店が何もやってなかったり、
最初はかなり苦労した。
でも、こんな形式的な事は、知ってれば適応できる、で終了。
要するに、最初は知らないから困るだけ。
「異文化体験」といえばそうだけど、留学の目的にするほどの物ではない。
9月になると、色んな国の人たちと会った。
最初は、西洋人の出で立ちを見るだけで、話しかけるのに躊躇したりもした。
とはいえ、最初のパーティーからドイツ人/スペイン人等と一緒に会話してたし、
その意味では、友達はそこそこできていった。
10月くらいから、表面的に「適応出来てる」と見せかけるのに限界が来た。
もともと、自分のライフスタイルを保つ性格で、一人の時間をかなり多めに取る性だから、
マラソン用のトレーニングの時間を確保し、
夜は0時頃に寢れるように生活リズムを作っていった。
そのお陰で、体のコンディションは上がり、初マラソンを完走した。
この頃から出てきた問題は、人間関係。
若干孤立気味だったのかな。
色々誘ってはもらえるんだけど、何となく西洋系の人と波長が合いづらかった。
もちろん、良い関係を築けてはいたんだけど、
彼らから見ると、どこか一歩足りないんだろうな~という気分がずーっと続いてた。
0時から5時までクラブに行くのは生産性が低いからいいや~
と思ってパスしてたら、ちょっと不思議な目で見られた。
んで、参加してみても、やっぱり分からんかった。
アメリカドラマの話題にもついていけず、
やっぱり文化の壁は厚いな~って感じた。
11月は、その壁を感じながら、でも"友達"と関係を続けて言った時期。
でも、Japanese Dineerを我が家でやった辺りから、
彼らとの壁が少しずつ薄くなっていった気がする。
彼らが僕のあり方を、少しずつ理解/受け入れてくれるようになったんだと思う。
接され方が少し変わってきたように感じた。
でも、僕の方は、まだ適応できなかったな~
彼らの思考の裏にどんな世界があるのかを、きっちり掴めてなかった。
12月は試験の月。
でも、日本人の友達と旅行を何回かした。
そして、ヨーロッパ経験の豊富な日本人の友達たちが、
西洋的な価値観を少しずつ伝えてくれて、
何となく理解できるようになってきた。
彼らがどういう考えをもって行動してるのか、
少しずつ make senseする事が多くなった。
でも、一番そこに近づいたのは年末の休暇に入ってから。
アメリカのドラマや映画を見たり、オマケの時間が増えたからかな。
アメリカ人の友達は、もう国に帰っちゃったし。
というストーリーが真実の半分。
彼らのライフスタイル、特に人間関係に対する考え方の違いについては、
1月にどれくらい適応できるかが問われると思う。
集団内の人間関係についてはこんな感じ。
一方で、個対個の人間関係に関しては、
日本でいる時の何ら変わらない。
相手がどんな人なのか、という点を見つめて、
素直にリスポンスをしていくだけ。
そういうところは世界共通なんだな~って感じた。
こういう経験を、「異文化理解」とか「交流」とかって言うのかどうか分からんけど、
多少なりとも経験になった。
でも、日本にいたら、別の経験ができたかもしれないし、
Netでどれくらい留学が良いか、と聞かれるとちょっと分からないかも。
でも、留学に来てる事実は変わらないから、そこ考えてもしょうがないか!
現状から、より多くを得る事を考えよう。
少なくとも、色んな経験をする機会は転がってるはず!
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