経済学で考えると、
というか、科学的に考えると、
実は非常に明快な答えがある事が分かった。
集団内におけるFairな意思決定方法はあるか?
という問いに戻る。
「フェアな」という言葉の定義があいまいなのは承知しているのだが。
例えば、選挙をやる時、
どういうルールでやるのかが結構な問題になる。
単記式の選挙の場合は、
どういうルールで選挙をするかによって、
最終的な結論が多いに変わるという事。
3人の仲間と卒業旅行に行く時、
それぞれの希望順序が、
- Aさん:イタリア>オーストラリア>中国
- Bさん:オーストラリア>中国>イタリア
- Cさん:中国>イタリア>オーストラリア
という感じだったとすると、
- 中国とオーストラリアで良い方を選んで、イタリアと決選投票する(イタリアが勝つ)
- オーストラリアとイタリアで良い方を選んで、中国と決選投票する(中国が勝つ)
- イタリアと中国で良い方を選んで、オーストラリアと決選投票する(オーストラリアが勝つ)
という感じで、左右されます。
ちなみに、もっと一般的に、
簡単化して言うと、
「民主主義的な意思決定プロセスで団体の意思を決定する事はできない」
という感じです。(笑)
もう少し噛み砕いていくと、
「選好順序が論理的に破綻しない事」と「民主主義」が両立しえないという事です。
一つ目の、「選好順序が論理的に破綻しない条件」は以下の通り:
社会的厚生関数が成立するための条件
- 反射性:XはX以上に好まれる
- 完備性:二つの選択肢があった時、「XはY以上に好ましい」「YはX以上に好ましい」の少なくともどちらか一方が当てはまる(両方当てはまる時は、「XとYは同等に好ましい」)。
- 推移性:「XはY以上に好ましく」「YはZ以上に好ましい」ならば、「XはZ以上に好ましい」
後半の、「民主主義の条件」は以下の通り:
民主主義が成立するための条件
- 定義域の非限定性:社会を構成する個人の選考は、上述の3つのルールを満たしていれば自由である。
- 全会一致性:社会を構成する全員が「XはY以上に好ましい」と思うなら、社会全体としてもそう思う。
- 無関係な選択対象からの独立性:「XとYのどちらが良いか」は、別のZに対する個人の好みとは関係ない。
- 非独裁制:社会全体の選考が、特定の個人と完全に一致する事は無い
そして、Arrowという経済学者は、
その博士論文で(!)
これら7つを満たす選考順序は存在しない事を証明したのです。
という訳で、民主主義は単なる空想、という事が分かります。(笑)
さてさて、ここからが更にショッキングで、
- 3名以上の候補者の中から1人を選ぶ
- 投票のみで決める(くじ引きなど、偶発性が入らない方法で決める)
というような選挙を考えると、
- 独裁的:ある一人の有権者の投票によってのみ決まる
- 特定候補の排除:ルール上、絶対に選ばれない候補者が存在する
- 戦略的投票が可能:他の有権者の本心を知る事で、本心を偽った投票行動をする事により、自分にとってより有利な結果をもたらす事ができる
のどれかが成立してしまいます。
普通の選挙の場合、
独裁的ではないし、どの候補にも優勝できる可能性がある。
という事は、「戦略的投票が可能」という事になります。
ここが政治が入り込む場所、という事になります。
「フェアな選挙」=「独裁でなく、全員に優勝のチャンスがある選挙」
として捉えると、
フェアな選挙には「腹の探り合い」がつきものである事が分かります。
- 政治には選挙がつき物
- 選挙には腹の探り合いが付きもの
- 腹の探り合いはとても政治的だ
⇒政治は政治的だ
という事で、政治が政治的である理由がよく分かります。
国を治める行為である政治が、
駆け引き・腹の探り合い等で緊迫感がある「政治的」な状態
である理由がね。
とある皮肉だと、
独裁政治だと一人が決める。貴族政治では数名が決める。民主政治では誰も決められない!
というような事が言われます。
ここまで来ると、これが感覚的ではなく、
論理的に分かりますね。
個人的には今の日本のような制度よりは
独裁に近い政治体制の方が良いと思います。
アメリカのように任期中は大統領が大きな権限を持っている制度が、
中・長期的ビジョンに立って、
整合的に政権を運営できるので良いと思っています。
そのためには、選挙制度から変える必要がありそうですね。
とりあえず、今日の結論としては、
「独裁はそれほど悪くない」
という事だけ覚えてもらえれば嬉しいです。
今の日本に必要なのは、全権を任せられるリーダー。
政治・政治的、Politics/Political、という風に、
世界の様々な言語で、
「領土の統治」と「駆け引き」を意味する言葉が同様の語源から来る、
理由が分かったような気がします。