モバイルリサーチ会社のネットエイジアが、小・中・高校生を対象に実施した『学習に関する調査』の結果によると、授業内容や問題集でわからないことがあった場合に、先生に質問【しない】生徒が約6割(全くしない:14.7%、あまりしない:43.1%)にのぼることが明らかに。【質問するのが面倒だから】(49.1%)という返答がもっとも多かった。
個人的には、非常に興味深い統計だと思います。
日本の教育制度という物は、教師から生徒への一方的な「教育」で、「教えた物は分かれ」という感じなんでしょうか?
日本の学校教室の、教師に全員が正対するスタイルは、僕は良くないと思います。
日本の教育制度ってのは、戦争のために全員が最低レベルの知識を持てるように作られているので、規律を乱すような行為は嫌われるのですが・・・軍隊みたいですね。笑
思うと、僕は学校環境については非常に恵まれていた。
小学生時代は主にアメリカで過ごしたため、自由に質問する・批判する、というクセがついた。
ついでに、日本の補習校にも行ってたので、アメリカでは天才扱いでした。
というのも、アメリカ人4年生くらいになるまで掛け算をやらないので。笑笑
で、アメリカの学校の凄いところは、
「知識があるなら、別に習わなくていいんじゃん?」
とか言ってくれて、特別措置として、授業時間を別の事をする時間にしてくれた事。
時には2つ上の学年に算数を教えに行ったり、
時には高度な勉強を教えてくれたり、
時にはパソコンで遊ばせてくれたり。
とりあえず、彼らは多様性を受け入れるだけの余裕を持ってた。
日本に帰ると、全員が一律の授業に戸惑う。
担任の先生が優しかったのとか、色々な要素が重なってギリギリでなんとかなったけど、
変な教師とぶつかって学年を巻き込んだ騒ぎになったり、色々大変だったな~。
日本では、議論を嫌うようで、新しい視点を提供してクラスの中で目立つとかいうのは嫌われるし、
それ以前に、良い事をして目立つ、っていう観点があまり無かったんだろうね。
英語が話せる僕は、
「中学校の英語の時間にコレをやらされると大変だ!」
っていう思いで、受験勉強を決意。
そして、無事、SFCに受かる。
SFCでは、授業に多様性は無かったから、ある程度全員一律だったかな。
でも、英語はレベル分けされてたから、レベルが低くて困る事は無かったし(むしろ逆だった)、とりあえず息苦しい状態ではなかった。
高校に入って知的好奇心が旺盛に成り始めた時に気づいたのは、質問をすると、先生は必ず好意的に応えてくれて、「半学半教」の雰囲気があった事。
それが凄い良かった。
大学になって感じたのは、
僕が頑張っても、生徒を認めてあげようとしてくれるような教授・スタッフなどがいない事。
授業後に質問をする事は、ほとんどの教授にとって「厄介」以外の何物でもなかったし、
自分の知りたい事・分からない事、を教えてくれる人が誰もいなかった。
大学生が目指すべき方向性は、高校の時のように狭くない、という事なのかもしれないけど。
とりあえずそれが凄い残念。
フランスへ留学した時の授業は、全て対話式。
分からない事は聞く、教授は「専門家」なのでテーマに関連する事は全て答えられて当たり前。
そして、そのやり取りの中で、教授側が「学生から何か学べるかもしれない」と考えて、授業しに来ている。
この関係性が素晴らしいと思う。
話がずれてしまったが、
日本も対話式の授業を導入すると良いと思う。
そうすると、半分以上の先生がクビになるような気がするけど、
少なくとも日本の大学のレベルは上がるし、満足できる授業になると思うのだが・・・。
1 件のコメント:
対話式の導入は是非実施すべきだと思います。
ただ、これを実施するには教師を増やさないといけない。イコール、さらなる教師の価値(地位)低下をまねくか政府全体の教育費予算を増やすか。
できることならば、教育費を増やしてもらいたいな。日本の教育費はGDP比で、他の先進国よりもかなり少ないみたいだし。
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